終に添い遂げられることはなく

2023-02-13 14:02:00

王詩 大連簡柏特有限公司

「鳥の鳴く林が静かになればなるほど、時雨亭はさらに幽玄に満ちる」――木々は無言だったが、短くて悲しい恋を目撃した。もし、20年後、私もあなたも結婚していなければ、私はあなたと結婚することができますか?もし私もあなたも結婚していたら、私たちは恋をしてもいいですか?最近、私に深い印象を残した作品は、中里恒子さんの『時雨の記』という小説だ。 

作品はまず建設会社の壬生孝之助が青年時代から堀川多江という女性を慕っていたことを描いている。20年が過ぎたが、多江のにっこり笑った顔が依然として孝之助の脳裏に残っていた。偶然のきっかけで多江と再会した孝之助は、失われた20年の愛を手にし、「自分らしく生きる」ことにこだわった。その後、孝之助は多江のもとを頻繁に訪れ、食事に誘ったり、本を一緒に読んだりして、二人はだんだん親しくなり、心の底に秘めた夢を打ち明けるようになった。しかし、運命はいつも人をからかうものである。2人がすべてを放棄して一緒に歩くことを決めた時、男性の主人公は心臓病で亡くなり、女性の主人公に言葉では言い表せない夢を残した。 

男性は女性と付き合ってわずか5ヶ月しか経っていないが、その間、男性はいつも誠実、まじめであり、包み隠さず愛情を表し、真摯で優しく美しい心で女性を包んだ。この愛は純粋であり、また偉大でもある。「水のように優しく話し、尊敬し合って付き合い、互いに愛を抱く二人」――人がある人を好きになるのは、人間性の最も真正な感情で、誰も止められない。孝之助は幸運にも、また愛する人に出会えて、思い切って本当の自分に戻ることができた。孝之助は「今まで生きてきて自分を忘れ、自分のすべてを抑えて、世間のいわゆる『幸せ』のために生きてきたが、これからは自分に忠実になり、自分を取り戻し、心のままに生きる」と語った。考えてみると、どうしてそれを否定できるだろうか。他人の目の中の成功は幻の泡にすぎない。他人の目の中の自分のために、多くの人は自分の真実を抑えて命を無駄にしなければならず、最終的には最も真実とはかけ離れた自分になって生きなければならない。 

人生はなんと短く、哀しいものだろうか。ため息ばかりついて歩いていく……一路の花は誰にも賞されなくても、大切に自分の命の奥底に向かうものでありますように。 

『時雨の記』中里恒子

 

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