「鼻」におけるエゴイズム

2023-02-13 14:11:00

芷欣 広州華商学院

日本といえば、一番早く思い出したのはどんなものだろう。20代の私として、やっぱり文学作品が一番早く思い出した。今でもはっきり覚えていて、初めて買った日本作品は芥川龍之介の作品集だった。芥川龍之介の作品は発表以来、多くの人に愛読されてきた、長い間、日本の近代文学界に大きな影響を与えていた。初めて「鼻」を読んだ高校生の私にとって、心の深いところから、主人公の悲しい人生について変な哀愁を感じた。 

年を取るにつれて、日本の文化や文学などをより深く接触してから、もう一度「鼻」を読んだ。いろいろな資料を調べて、内供と他の登場人物について分析してから、作品についても深く認識することができた。「鼻」という短編小説の内容は変な鼻を持っている禅智内供をめぐって展開する。主人公はこの鼻を治るために、様々な方法を試し、とうとう鼻を短くなったが、かえって周りの人達に嘲られた。 

小説の前に、周りの人達が内供の可笑しい鼻に同情を持っていたが、内供の鼻が短くなり、周りの人達はかえって内供に嘲った。身分の高い禅智内供も他人の評価に左右されない勇気がなく、他人の評価に従い、自分を変え、自己意識を失ってしまった。周りの人達はより優れた地位を失ったように、内供がまた不幸に陥って、長大な鼻を持つことを希望している。彼らは内心のバランスを失い、このような行動は人間の虚偽と虚栄から生まれたエゴイズムを表現したかったんのだ。 

人間というのは、自分自身のために自分の利益を保つことを大切にする。「鼻」に書いたように人間は自分の自尊心と虚偽に関わる時に、自分へのエゴイズムは生き、他人を傷つけるも気にならない。自分だけの利益、幸福と楽しみを求め、他人の立場を全然考えない。では、近代人の私たちとして、心のエゴイズムをどう処置すればいいのか。自分あるいは他人のエゴイズムに左右される立場から脱出できるか。芥川龍之介の答えは悲観的だ。 

「鼻」を読んでから、エゴイズムを剥き出す要因の探究により、日本文化に特別なエゴイズムを感じた。「鼻」を発表した時は大正時代で、第一次世界大戦による労働者、農民などの生活が苦しくなり、国民意識と帝国的意識が高まている。その作品は人間社会に一定の距離を離れて眺めて、理知的な分析と特別な書き方で近代人らしいエゴイズムの思想行為の悲哀を映し出し、現代社会に暮らしている我々も人生を考え直すことができた。これは「鼻」の特別な魅力だと言っても過言ではない。 

                                                            「鼻」

 

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