真面目に生きていい

2023-02-13 14:13:00

 江蘇大学

「生きるってつらいね」 

「もうあきた。現実にも自分にも。」 

映画『嫌われる松子の一生』の放送中、Zちゃん、高校生のころからの親友がかつて言った話はふと、頭の中で浮かんできた。その時、ヒロインの松子は恋人に捨てられたシーンが再び繰り返され、このどうしようもない女はつい、絶望な姿勢で「生まれて、すみません」という言葉を書いてしまった。その一瞬、Zちゃんの疲れ気味な笑顔が、心にまざまざと現れたのだ。 

今までも国家公務員の採用試験に一生懸命頑張っているZちゃんは、何事にも几帳面な性分だ。大学卒業後の二年間、Zちゃんは試験の準備にすべてを傾いており、就活のこともいけなかった。しかし、合格者の割合が百に一つとでもいえる厳しい競争の中で、Zちゃんはわずか一点の差で筆記試験で失敗したり、あるいはようやく面接まで頑張ってきたのに、結局落ちたりしたなどのようなことが何度もあった。それに限らず、だんだん家族から、「まったく、試験のことも就職のことも、ひとつもできないなあ」などのような愚痴をこぼされるようになってきた。 

いかにも残念かつ残酷なことか。そして、「私、もう現実にも家族にも捨てられたんじゃないかなあ」と、こういったZちゃんはその時、笑ってはいながらいささか悲しげな顔だった。 

今から思えば、映画には、「なんで」と独り言している松子の寂しげな笑顔は、なんとなく、どこかでZちゃんの面影とは重ねるような気がする。毎度、この女はすでに絶望の奥底に落ち、「その瞬間、人生が終わった」と死ぬほかにはならないように見えてきたが、次の瞬間はやはり、生き残るための新たな原動力を見つけ出した。たとえ一時にやけになり、精神問題を患ったとしても、最後まで美容師として日常生活の軌道に戻ろうと頑張ってきた。何度も現実に打ちのめされ、また立ち上がろうとするこの女の姿は、実に心に深く残った。 

正直に言えば、これまではさんざん悩んだ一時もあった。これからどんな道を選び、そして一旦選んだら、その道を最後まで貫けるかどうかなどのような問題に直面しなくてはならなかったのだ。思うに、その時の自分は、ある程度で今のZちゃんと松子とはほとんど変りがない。むしろ、だれにもこんなことがあるのではないでしょうか。何の光もない闇の中で、ただ一人で、自分なりの進路を探そうと精一杯に頑張っていることである。しばらく行方や目標は知らなくてもいい。もし、そこで苦しみや辛さなど感じるなら、それは私たちが真面目に考えて、真面目に生きている証なのではないでしょうか。 

映画の中で、不幸な運命が続いている松子は、いつも絢爛たる色彩と美しい花で囲まれている。それは定めの残酷さが示される証拠だと考える人もいるが、私はむしろ、松子、あるいは松子と多少でも似ている私たちが、さんざん迷っている姿で、やはり真面目に生きようとすることへの最高の敬意だと思う。 

                          『嫌われ松子の一生』

 

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