別れは出会いをもたらす

2023-02-13 14:17:00

張瑋澤 景徳鎮陶磁大学

私は「一番好きな映画は?」と訊かれば必ず『ラブレター』と答えている。美しい場面、悲しい情緒、緩やかなリズム、過去と現在が絡み合った叙述の方式、さらに少年少女の間にあふれる初恋、といったものをもって私に大きな感動を与えた。美しい小樽、雪と温かい光、物語はまるで現実から抜け出したようである。 

「お元気ですか。私は元気です。」その言葉は失った最愛の人への執着と、自分の思い、そして別れを伝える言葉なのだろう。声は徐々に大きくなり、最後は涙と共に崩れ落ちる。そして博子は藤井樹と決別をし、前に進むことができるに違いない。 

最後のシーンでは、藤井樹の元に、現在の図書委員の子供たちが一冊の本を持って自宅を訪れる。それは彼から引っ越しで別れる際に「返しといてくれ」とぶっきらぼうに渡された本。タイトルは「失われた時を求めて」。そしてその図書カードの裏を見るとそこには彼女を描いた肖像画が描かれていた。樹は彼の初恋に気付き照れながら涙ぐんだ。その幸福な微笑みは、私の心を優しく波立たせた。こうして、死者に宛てた手紙で幕を開けた『ラブレター』は、死者からの手紙を受け取ることによって幕を下ろす。最初のラブレターは誤配されたものだったが、最後のラブレターは正しい宛先へと、時を超えて確かに届いたのである。 

私は日本の純愛映画がとても好きだ。今も昔も純潔な初恋はいつも文人墨客の賛美を受け、とりわけ「純愛」というテーマが揺るぎない地位を築いている日本映画にあっては、初恋は香しい花のように私たちを淡い陶酔へ誘う。純愛映画の中の静かな、表には表れない感情は、私たちが潜在的に持っている絶望感を慰め、一種の希望に満ちた生命を体験させてくれる。その世界の中では、社会的な束縛を離れ、どんな外界の苦しみも存在しない。その愛情は純粋で、社会的な立場も年齢も、生死さえも問題にしない。 

「しみじみと物のあはれを知るほどの少女となりし君と分かれぬ」『ラブレター』を見るたび私は北原白秋のこの歌を思い出す。青春時代のひとつの恋の終わりを素直な言葉でため息をつくように詠んだ切なくも優しい一首である。しみじみとした物事の情緒、無常観に裏打ちされた哀愁、少女に「もののあはれ」を教えたのは、恋だったのだろう。私たちの人生とは、何かを失うことの連続であり、私たちは、これまでにも多くの大切なものを失ってきた。しかし、手放してこそ、得られるものがあるのかもしれないのだ。「出会いは別れをもたらす」、これは世の無常かもしれない。だからこそ今という一瞬一瞬を大切にし、一期一会を大切にするべきである。そして同時に、「別れは出会いをもたらす」ということを心に留めて、出会いを大切にいていこう。 

失われた時はいつも美しい。私たちは丁寧に感謝しながら、日々を送らなければならない。 

映画『ラブレター』

 

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