あなたの目にはどんな世界が映っているのか?

2023-02-13 14:22:00

李嵐 西安外国語大学

「この世には醜いものはいらない」 

たくさんの漫画を読んできて、『累-かさね-』のそのセリフが、いつも頭の中に浮かんでくるのだ。もし、ある日突然、他人と顔を入れ替えることができたら、あなたはどうするつもり?嬉しいか、それともゾッとするか。これは恩恵だろうか、それとも悪夢だろうか。 

主人公であった累は小さい時から醜い顔を持っていて、伝説の女優だった亡き母のような美しさはないが、舞台への執着と母親譲りの突出した演技力は誰にも及ばなかった。母親の遺品であった口紅をめぐって物語が進み、他人の顔を奪いながら女優として活躍してきた。しかし、顔が入れ替わった人の人生はどうなったのか、母親にはどんな秘密があったのか。物語の展開とともに、それらの謎も明らかになってきた。 

この作品を初めて読んだ時、私はヒロインである累に深く引きつけられた。すべての人は多少、彼女の嫉妬、羨望、執着、劣等感などの感情から、自分の姿を見ることができると思う。それに、私たちも自分の追求に苦しめられ、追われ、疲れて息を切らしているのだろう。「自分が彼だったらいいのに」という思いが湧いて来るだろう。他の人はいつもあんなに輝かしく、優秀で余裕があるように見えるが、なぜ私だけはいつも何もできなく、役立たずのようだろう。「彼女ならきっと、もっと上手にでき、もっと多くのものを手に入れるはずだ。」「彼の目にはどんな世界が映っているのか?」という羨みと恨みを抱きながら、私たちは累のように「自分ではない別人になりたい」と強く願っている。しかし、Aと顔を入れ替えてその綺麗な女優になっても、Bと顔を入れ替えてあの新しいスターになっても、累はずっと誰かとなって演じ続けなければならない。累自身が誰かに見てもらえることはない。 

他人という幻を追い続け、結局、自分という存在をなくなってしまった。この身がどう変わろうと、私が私であることに変わりはない。作品を読んでいると美醜のテーマに意識が向きがちだが、その先にあるのは『私は私』というアイデンティティだ。漫画の累、現実の私たちはみんな、自分自身の在り方について悩み、苦しんでいる。 

現実には顔を入れ替える不思議な口紅があるはずがなく、他人の人生を生きることも有り得ないが、私たちには自分の人生がある。そこで、主役として、舞台に立って、演技を披露して、幕を引く。 

私たちには欠点が山ほどあり、美しい容姿と際立った能力も持っていないかもしれない。そうした自分という存在について悩み、苦しんでもがいて、それぞれの答を導き出した。どのような人間にも存在価値があり、その価値は自分で決める。 

自分自身を強く望むだけでいいと思っている。 

満天に輝く星空と、暗闇の中にひとつだけ輝く星空。同じ星空を見上げながら、目に映るものが違っていてもかまわない。 

私は私、美しくても醜くても。 

「私の目にはどんな世界が映っているだろう」 

-かさね-

 

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