星を仰ぐ

2023-02-13 14:24:00

張荆晶 吉林大学

窓の外は、真っ暗な星一つない空。 

そうしても星空を見たいなと思いながら、何度も読みつくした『銀河鉄道の夜』という本を取り出した。この紺色の『銀河鉄道の夜』は二年前に日本から帰国する時に、送別記念プレゼントとして有村さんがくれたものだ。 

あまりにも不確定な気持ちの流れの中で、五感にはいろいろ過去の思い出が刻み込まれている。あの時も同じような心境だったことがふいに夏の夜にこんなふうに甦ってくる。二年前のなま暖かい夏の宵、日本に留学している私と日本人の友達有村さんと、たらふく晩ご飯を食べた後、大通りを一緒に散歩していた時のことである。私は不意に空を見上げ、うすい沈黙を破った。 

「今夜、あんまり星が見えないね。」 

「確かに、そうだね。」 

「星を取りたい。」私は突拍子もないことを言ったせいか、彼女は聞き間違えたかのように、こう言った。 

「そう、ここは星取り県とも言うよ。よく知ってるね。」 

「星を取ってあげよっか」私はまた冗談半分に言った。 

「取ってきたらどうする?寝室の天井に飾るのか。」 

「シャンデリアのように?はははっ」 

私たちはジョバンニとカムパネルラのように星をめぐる話を機嫌よくしていた。 

帰国後、力抜けした時、いつも、彼女が一つ一つ丁寧に書いてくれた「15個ジンジンのいい所」の手紙を読み返していた。また、その可愛い字を見るたびに、日本に行ったこと、素敵な友達ができたことを思い出す。 

「この、ぼんやりとした白い銀河を大きな望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。」『銀河鉄道の夜』のなかでは、学校の先生がこう教えてくれた。私たち誰でも小さいながら宇宙の流れのなかで点滅している星である。この世にぽつんと生まれてぷつんと去ってゆく。が、この世にリアルに存在している、あるいは存在していたこと、そして存在している間、お互いに支え合っていることが何よりである。 

星をめぐる夜空には、たくさんの物語が輝いている。中日友好関係を結んだ以来、既に五十年経ち、それに中日二千年余りの交流史において、後世まで伝わる中日友好の美談が一面の星空のように夥しく輝いている。ほら、あの星は李白と阿部仲麻呂が映る一盞の杯、あの星は魯迅と藤野先生が映る一枚の写真……星の模様も物語もそれぞれ違う。そういった歴史に刻み込まれる星は数多くあるが、あまり人に知られていない星も少なくない。しかし、その記録されていない部分も個人の記憶として永遠の存在になり、宇宙の記憶に残ると信じている。 

中日関係は銀河のようなものであり、誰もがこの銀河に輝いている小さな星だろう。中日友好の民間の基礎を打ち固めるには、星で編み出された銀河が「糸」のように掛け替えない存在である。 

「太陽や地球はやっぱり銀河の中に浮かんでいるのです。つまりは私どもも天の川の水のなかに棲んでいるわけです。」しおりをこのページに挟ませ、窓を開いてひじをついた。 

『銀河鉄道の夜』

 

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