『心』に救い道がある

2023-02-13 14:30:00

丁旭 山東師範大学

心とは何だろう。心は働きであるため、もちろん形はない。粘土のようなもので、私達は自由にその形を変えることができる。しかし、他人から嫌われ、のけ者にされるような心を持ったのでは一生の不幸だ。 

百年前、夏目漱石は自分が書いた『心』の中で人間の心を検討した。夏目の『心』は「先生」という利己主義に支配されていた男を描いた。彼は友人のKさんを間接的に殺した。「先生」も自責の念にかられ、最後に自殺してしまった。小説を読み終えて、ある疑問が浮かび上がった。私達がどういう心を持つかは重大な問題である。 

二年前、ルームメートのNさんが電動バイクを買った。大学のキャンパスが広いため、寮と教室に通うのが疲れていた。楽な通学生活を送るため、私はいつもNさんの電動バイクに乗っていた。に迷惑をかけたが、エゴイズムやめられなかった。二年間一緒に授業を受けたり、食事をしたりしていた。深い友情を築いてきた。Nさん少しも焦りを見せなかった。その代わりにNさんが困っている時に私はいつも熱心に手助けしていた。知り合ってから一度も喧嘩をしたことない。私のエゴイズムはNさんの利他主義によって和らげられ、貴重な友情も築いた 

よく「人はみな利己的だ」の言葉を耳にする。人の心の奥底には、欲や利己心、怒りなど様々な悪い性質を隠している。しかしのような悪い性質を表に出さずことは社会の安定と発展の基礎となるものだ。 

夏目が生きていた明治時代は日本社会の転換期であり、日本人は先進国への期待感を持ち始めたと同時に、不安がつきまとっていた時代でもあった。つまり、古いものはそのままに、新しいものは未来にある。複雑で変化しやすい社会環境は人々の心の中にある悪い性質を露呈させて、社会発展の妨げになった。 

不思議なことに、今の中国は、まさに明治時代の日本のようにみえる。高度経済成長の鈍化、住宅価格の高まりなど、人々は今後の発展に不安を抱いている。今年は中日国交正常化50周年の節目でもあり、歴史発展のレンズを通して日本の過去を見つめ、同時期の日本の実践を参考にしながら、落ち着かない人々の心を癒やすことのできる中国独自の救い道を探す契機ではないか 

「小さな事を成せぬ者は、大きな事も成せぬ」 

小さなふれ合いがなくては大きな国際交流成し遂げられない。今は最悪の時代で、最高の時代でもある。二十一世紀は間違いなく私達の時代だ。古今東西が交錯する時代の中で、私たち青年はチャレンジと責任と共に、チャンスと無限の可能性も与えられた。従って、私達は人間の心のもつこのような矛盾、不合理をよく理解し、その矛盾や不合理を乗り越え、真っ直ぐな心、思いやりのある心、理知的な心を持つようにしなくてはならない。身の周りの些細なことから、他愛のないふれ合いから、国の未来がより良くなるよう、進む道を探そう。                                   

『心』夏目漱石

 

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