初心者を忘れず、力強く着実に前進する

2023-02-13 14:35:00

孔曼倩 上海初盟教育科技股份有限公司

「湯婆婆は相手の名を奪って支配するんだ」ハクは真面目に千尋に言った。 

これは宮崎駿が監督した映画『千と千尋の神隠し』の一シーンだ。 

初めて宮崎駿が監督した映画を見たのは2010年の夏休みだ。『千と千尋の神隠し』、この映画を見たとたんに、私はハイキー調の描き方に惹きつけられたと同時に一つの問題がしきりに頭に浮かんだ。 

なぜハクが千尋に自分の名前をしっかり隠すと絶対忘れるなと言ったのか。今では2022年となり、社会人となった私が再びこの映画を見て、まさに「少年の時は映画の意味が分からず、大人になったら自分も千尋のように世界で生き延びるために頑張っている」というような感じがした。 

「人生とは物質的な豊かさを獲得することではない、心を高めるために与えられた期間である」と、稲盛和夫が言った。現代社会は規範を失い、人々の心が満たされないのはなぜか。もっと早くお金持ちになる方法は何かなど混迷を深めることが生活に溢れている。自分の初心を守らなければ、真摯に生きるどころか、欲望に駆り立てられるようになり、自分は何のために生きるのかさえも分からなくなる。 

千尋は神への料理を勝手に口にした罰を受けブタにされてしまった両親を人間に戻し、元の世界に帰るために湯婆婆と契約を交わし、「千」と名乗り湯屋で働き始める。強い悪臭を放つオクサレ様に向き合い、身震いして接客する。このシーンを見て大学を卒業後新入社員としてあるEコマース会社で務めた体験を私は思い出した。精密機械の取扱説明書の翻訳から、ページの編集まで、一生懸命に頑張る私は初心を忘れないようにしてきた。身につけた日本語を仕事に役立てるのが私の夢だ。この体験から獲得したのは物事をやり遂げる喜びだけではなく、日本語関連の仕事に対する確かな感覚もある。 

映画には多くの従業員が砂金に迷い、湯婆婆に名前を奪われ、支配され、毎日忙しそうに、ウォーキング・デッドのように生活している。これに対し、千尋の方は困難と風雨を恐れず、両親を人間に戻させ、元の世界に帰るという初心と自分の名前を忘れなかったからこそ、夢を実現したのだと思う。 

映画の終盤は愛が溢れるものであったが、その背景は日本経済が不况になった時代だ。バブル崩壊後の1991年から2000年までの十年間は「失われた十年」という。この世代に生まれた若者は未来を知らない。文芸の分野では人々に生活に対するやる気を起こさせるために、監督の北野武をはじめ多くの人は作品を作り、若者を励まそうと力を入れた。「千尋」というキャラクターがこのような時代に生まれたのは監督の宮崎駿が千尋に託して若者に対して希望を寄せたからだ。 

今ではコロナ禍が猛威を振るう時に、就職や生活のストレスに向き合い、過度な競争に疲れ、あえて頑張る必要はなく現状維持できればいいという考えの人々もいれば、初心を忘れず前に進む若者もいる。また、初心を無視しお金や利益に迷う若者もある。 

主題歌には「悲しみは数え切れないけど、その向こうできっとあなたに会える」という歌詞があり、そこからまるで言語を超えた力が人々の心をつなげるような気がした。 同時に、媒介としてお互いの心を通わせることの出来る一人の翻訳者として何ができるかもしみじみ分かった。 

私は、この自分を見失ってしまいそうな過度な競争社会にあっても、一人一人が初心を忘れずに行動するのが大切だと思う。そして、全体としてどんな些細な努力であっても人生の精神的な力に変えるように心をもっと強く持つべきだと私は思う)。人は誰でも何かしらの初心に熱情を注ぐ。人々は時代の中で小さな存在であると同時に大きな存在とも言えよう。 

私も今、千尋のように広大無辺な世界で初心を忘れず、力強く着実に前進するように心掛けたいと思っている。 

       『千と千尋の神隠し』

 

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