希望と救い

2023-02-13 14:50:00

代慧 瀋陽工業大学

生きてるかぎり、負けないわよ。  ―『アンナチュラル』 

『アンナチュラル』を見終わった後、複雑な心境になり、長い間落ち着くことができなかった。監察医は法律と医学の架け橋であり、死体にはそれぞれの言葉があり、死者に言葉を与え、事件の真相を解明するのが監察医の務めである。 監察医は、医師の華やかさとは異なり、現在でも賛否両論のある職業である。 

給料が7000円で、「死んだ人にお金を出したくない」という心理が一般的な日本では、解剖率が最も低い地域でも2%以下です。そんな中、日本のドラマ『アンナチュラル』のUDI(Unnatural Death Institute)が誕生した。生きている人には正しい答えを、亡くなった人には十分な説明をすることが、UDIの存在意義だと思います。 どのエピソードにも死と旅立ちがあり、どのエピソードにも希望と救いがあります。 

漢民族の伝統文化では、死は非常にタブー視されている出来事です。 死について話したり、死に遭遇したりすると、人は不運に見舞われるものです。 

しかし、年齢を重ねるにつれて徐々に、死は避けるべきものではなく、人生の一部であることに気づかされるのです。 死は辛く悲しいことですが、決して不運なことではありません。死は人生の終わりであり、すべての悔しさと幸せな気持ちが終わる瞬間である。 言いたいことがあれば生きているうちにしか言えない、会いたい人がいれば生きているうちにしか早く会えない、行きたいところがあれば飛んでいかなければならない、ということを死の存在は人々に大切にすることを教えてくれるのです。 

私の認識する世界では、私たちが出会うものはすべて、私たちが乗り越えることができるテストであり、人生は死以外はすべて些細なことなのです。主人公の三澄ミコトは、「絶望している暇があったら、うまいもの食べて寝るかな」と言います。悪いこともあれば、絶望することもあるかもしれない。でも、少なくとも私たちは辛抱強く、良い方向に働き続けることができるのです。 

死者に対しては尊敬と追悼の念を、周囲の人々に対しては、愛する人であれ他人であれ、誠意を持って接し、希望と救いを送ることが必要です。生きていると、人間の暗さ、欠点が見えてくるが、一歩一歩向き合っていると、ある人の心の奥底に埋もれているような善意が見えてくる、これを真実というのである。 

中国の古い言葉に「人を害することはできないが、人を守ることはできない」というものがあります。人生を愛しながらも、他人を盲目的に信頼する罠に陥ってはならない。 

                                     『アンナチュラル』

 

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