プライドとコンプレックスの戦い

2023-02-13 14:51:00

肖晶晶 大連外国語大学

誰しも、心の底にいささかのコンプレクッスを持っているだろう。才能、容姿、家柄、学力全て比べられるものはコンプレックスの根源である。しかし、哲学の角度から見ると、プライドがあるからこそ、コンプレックスが生じるのだ。この矛盾はすべての人間を悩ませ、苦しめる。中島敦『山月記』の主人公李徴もそうだった。 

彼は少年時代から才能に溢れ、孤高の性格を持ち、プライドも高かった。他人に頭を下げるより、詩人として歴史に名を残すと決意した。しかし、世の中はそう甘くない彼はだんだん良い詩が書けなくなり、結局才能という呪縛からも逃れられず白虎となった。 

「己が玉に非ざることを恐れる故に、あえて刻苦して磨こうともせず、又、己の玉なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することもできなかった。」 

私は中島敦が書いたこの人間性の溢れる李徴が好きになった。彼は「正しい生き方」をしたわけではないが、私は彼が苦しみもがく姿に心を打たれた。 

コンプレックスとプライドを同時に持つ人だからこそ、盲目的に自分が強いと言い切れない。自分は弱いとも認めたくない。私もそうだ。いつも他人との違う長所を持つことで、自信を保ってきた。絵画と学校の成績がそうだった。他人に褒められると当然、浮かれて満足する。しかし、ネットで私と同様に趣味で絵を描いている人の作品を見た。しかもまだ中学生と知ると、自慢どころか、頭には焦りと劣等感しかなかった。しかし、私には何もできることがない。ただ時間に頼ってその苛立ちを抑えるだけだ。 

中島敦はこんな気持ちを「臆病な自尊心」と名付けた。李徴は白虎となったのも、その「臆病な自尊心」が彼の精神を乱したからに違いない。なぜ「臆病」と呼ばれるのか、たぶんそれは自分の弱さを認めるのも相当な勇気が必要だからだろう。 

現実では自分は思ったほど優れた存在ではないことを認められない人は想像したより遥かに多いだろう。人間もそうだし、国もそうだ。歴史から見ると、どの国も輝いた時期、世界に偉大な文明をもたらしたことがある。中国にもは繁栄を極めた盛唐の時期があった。イギリスはスチーム時代の幕を開けに、「太陽の沈まぬ帝国」と名乗った。誰しも輝いた時期がある。その名誉はあまりにも壮大でそれを過去と認めたくない。だから見栄を張って、本当の問題を解決することを避ける。面白いことにそれらを隠すために様々な工夫をして、人の視線を逸らしたり、自らを欺いたりする人もいる。 

たぶんプライドが頭を支配する力があまりにも強く、越えられたくないという恐れによって、自分の心が傷だらけになるだけでなく、他人を傷つけることにまでなってしまうのだろう。 

このプライドとコンプレックスの戦いでは、どちらが勝っても、本当の勝利とは言えない。前に進むには現実を潔く認めるしかないが、その勇気を振り絞るのは一番難しい。 

中島敦『山月記』

 

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