自然との一体化――『美的情素』を読んで

2023-01-16 15:16:00

譚碧雅 曁南大学

 『美的情素』は日本の著名画家、東山魁夷の散文を集めたもの〔訳注:日本で刊行されている同氏の多くの著作を収録〕で、作者は前半生に遊覧した記憶を率直に述べ、彼の自然観を詳しく説明し、人生の哲理を思索しています。この本を読むと、碁盤を観賞するかのように、引き込まれて書中の巧みさを発見することができ、大迷宮の中で絶え間ない謎解きを味わえることもあります。本書では、日本式の美に対してと、いかに自然と調和して付き合うかに対して、東山魁夷の悟りが明らかに述べられています。 

 第一章「日本の美を求めて」では、東山の美学の認知の中には日本の本土に対する心からの愛が満ちており、彼が理念を伝える根源はそれなのだと気づきます。環境の優美な港町、神戸で暮らした少年時代から、東京美術学校へと進学するまで、日本に根を下ろした彼は本能的にこの国の自然美への感知を増やし、悟りを深めています。日本の自然の景色は、彼が淡路島で夏を過ごしていたとき、海に近づくと、「夜明けの空が水平線の近くで茜色に染まり」、日暮れの円山公園では「一株のしだれ桜は、淡紅色の華麗な粧いを枝いっぱいに着けて」いるのを見ています。こうしたよく知っているようでよく知らない自然美が彼の最初の審美眼を培い、彼の芸術の品性を作り上げました。 

 自然の風景画は東山作品の重要な様式で、彼は鋭く自然の色彩を観察して、自然と共生する態度で絵を描き、文を書いています。また日本文化が東山の打ち立てた価値の方向を指し示していることも軽視できません。東山の筆を通して、日本が自然の法則に順応した国だと感じ取れます。工業化、都市化が急速に発展した状況でもなお、この国は自然の元来属する風景を最大限に留めており、これは文明です。東山は日本の古典文化を掘り起こすことに熱中して、『万葉集』などの伝統的作品を評価していました。彼の印象の中で大和の美は比類なく、ここから東山が内心で大和の美への向き合い方を特に誠実に重視していたと思われます。 

 そのほか、西洋での研修と中国で遊覧した経験も重要な作品の源泉となっています。異なる景色は視野を開きます。ヨーロッパの各国を巡り、西方の新しい思潮を受けてもなお、質素で揺るぎない態度を守って自分のものを創作したことにせよ、三たび中国を旅した後で東洋の美を悟って、中日の文化交流の昔を思い起こしたことにせよ、外来の文化に向き合うとき、東山は尊重し理解しながらも決して受け売りをしない貴い態度を維持しています。これは作者が絶えず東西の文化の精華をくみ取ることを促したうえ、その心境の変化、芸術作品にも多くの新しい認知と新しい構想を提供しました。本の中で彼は、静寂なサン・マルコス修道院を訪問し、フラ・アンジェリコの謙虚で礼儀正しさに満ちた質朴な壁画を見て、自分の世界を重視し、掘り起こして画家の価値にするべきだと悟ったと述べています。また、南京、揚州の多くの地を見学したとき、中国の水墨画が最高峰に達するまでの容易ならざる道のりを感じ、水墨画の精神性に対して深く関心を持ったとも言及しています。この東西での経験いずれもが東山に文化交流のもたらす影響を気づかせたのです。 

 文化資源も自然環境資源も有限です。東山が書中で選択したのは、自然資源の貴重さを文字と絵画を通じて伝え、文化資源を創造して、人々が日本式の美、自然美を発見するよう促し、人々が自然と保護意識を強めて、別の意味での「グリーンエネルギーの高度利用」へとつなげることでした。 

 東山の記す散文に反映されている上品さは、彼が飾り気のない言葉や絵画を通じて現象を述べ、観点を説明できるということでしょう。中日翻訳の壁をよそに、彼は一言一句の中でしなやかにそうしたものを伝えられるのです。たとえば鑑真和上の心象風景に言及したとき、話の結びで「和上にひとめ日本の風景をごらんいただけたら、ほんとうによかったのに」と述べています。そして「和上のみたまにささげよう」の講演時、彼が描いた障壁画「山雲濤声」は、色調の大部分が薄い灰色、青紫色であることも、典型的な山と海で鑑真に対する敬意を表現しようと決意したことも、彼の作風のもとではあっさりと表現されており、工夫を凝らして構想であり、根気よく理解した後の成果でもあります。全身全霊を自然の中に投じて、すべての景色の声を聴き、自然美への愛を紙の上に浮かび上がらせるのです。 

 ほかにも彼が自然と調和した付き合いの中で純粋な一体化した状態に達しているのはどうして分かるのでしょうか。東山と大和の美の密なつながりに体現されているのは、主に奈良公園で垣間見られる生命力に満ちあふれた野山、心を悦ばす人文と美しい景色の引き立て合う調和です。また三輪山では日本的な美の原形を感じ取り、大自然の変化「春の芽ばえ、夏の茂り、秋のよそおい、冬の清浄」を見て取っています。自然から自己へ近づく中で、自然の軌跡が人と密接な関係にあり、真実に満ちていることに気づくと同時に、自身の内部は矛盾が存在するもので、静寂の中で限りなく思索して自己を発見し、調和する状態に達して、無我の境地へと昇華する必要があります。ゆえにその根源を突き詰めると、東山が「美しさの本意」を上品に深く理解できるのは、彼自身が自然美を十分に認め尊重していることに重点があります。彼は自然を愛し、またその愛の中に浸っているのです。 

 現実生活の中に戻ると、低炭素とグリーンエネルギーは持続可能な発展に不可欠のキーワードですが、『美的情素』が教えてくれるのは、まず自然美を心から愛さなければ、真の意味で低炭素やグリーンエネルギー利用といった制度に従うことができないということです。思想的な共鳴に至れなければ、真の意味での実践は困難です。日本で、中国でだけではなく、全世界で共通の美を抱擁して見守り、自然と一体化するべきなのです。 

 

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