偉大でちっぽけな変奏曲、人類と自然のゲーム――日本のSF小説集『赤い雨』を読んで

2023-02-13 15:06:00

李関月 雲南大学

日本の推理小説の「鬼才」と呼ばれる貴志介は、『黒い家』でのホラーの作風が中日韓で人気を博し、代表作『新世界より』で第29回日本SF大賞を受賞後、引き続き現代社会の問題と人間性の選択を中心に据え、2015年初めからディストピアを題材とした小説集『罪人の選択』の連載を始めました。この小説集は今年出版されると、その深い寓意と人と自然などの問題の多重の探求に対して国内外の巨大な反響を引き起こしました。 

制御不能な「」と万物の制約を受ける「霊長」 

人類は原始の焼き畑農業から繁殖を始め、1718世紀の啓蒙主義、理性主義の思潮に伴って、近代科学技術が急速に発展しました。19世紀になると、人類は手にした「――石油を利用して、着々と地球の至る所で現代都市を作りだし、神に取って代わって新世界の神になりました。 

しかし、この「」は万能ではありません。小説の中で、石油枯渇の問題を解決するため、人類は愚かにも遺伝子研究を通じて光合成を極限まで高めたバイオグリーンエネルギー藻類を創造し、人類のために「美しい新世界」に通じる門を開けようとたくらみますが、創造されたのはフランケンシュタインの「チミドロ」でした。この藻類はすべての生物の細胞に侵入することができ、その登場に伴って地球中に赤い雨が降りました。チミドロ単体ではそれほど毒性がないものの、赤い雨の存在により、世界を制覇できてしまうのです。この小説は一方で井伏鱒二の『黒い雨』から霊感をくみ取っているかもしれません。原子爆弾が広島で爆発した後の現地の廃墟は人体に対して致命的な放射能を持っていましたが、爆発時のキノコ雲の粒子がはるか遠方で降らせる黒い雨にも致死性があるとは誰にも思いつかないものでした。他方では歴史上の事実、2001725日、インドのケーララ州南部で赤い雨が2か月降り続け50トンもの胞子がばらまかれた事件についての考えです。15年後に科学者が示した最も可能性が高い真相は、はるか6000キロ以上も離れたオーストリアの藻類の胞子が大気の環流に伴って発生した降雨で同地に舞い落ちたというものでした。 

シェイクスピアに「人は世界の精華、万物の霊長」という言葉があります。しかし多くの人は「霊長」ばかりを目にして、その前にある「万物」を見落としています。人は造物主ではなく、万物の一つであり、海洋を含めたすべての生態系の一員でもあります。赤い雨の危機は、生態系における生物と環境の相互の作用と影響のきわめて良い実例です。地球の生態系は統一的な存在で、小さな動きが全体に波及します。人類の自然に対する何らかの変化と関与は、バタフライ効果のように未来に深遠な影響と後の結果を招くでしょう。小説「赤い雨」の中では、小さな人工編集された細胞が生態系内のすべての生物に壊滅的な災難をもたらしました。現実の生活の中で、人類は石油の力を頼みにして新しい神になりましたが、石油の燃焼時に放出される二酸化炭素が全世界の気候温暖化の元凶となり、生態系の破壊、生物多様性の喪失といった深刻な事態を招いています。 

人類の目覚め、「ドーム」と「スラム」の対立と協力 

後悔につける薬はこの世にありません。人類の科学技術では、時空を超えて以前に行ったことを変化させるには遠く及ばず、過去の事件は未来の発展を打ち立てる不可逆な事実になっています。すでに生じた多くの問題や事態に直面し、いかに失敗を補うのかが最も確実かつ実現可能な措置と方法です。それには一人一人の努力が必要です。「ドーム」は人類の能力の到達した極限で、赤い雨に蹂躙されている混沌とした世界と隔離された「楽園」でもあります。「スラム」には現実レベルでの貧困のほか、「棄民」の意味もあります。かつて先進国は汚染源を発展途上国に移転し、その環境を代価にして自身の発展を得ました。これはまさに「スラム」世界に対して「ドーム」世界の行ったことではないでしょうか。しかし汚染の移転は決して問題を根本的に解決する方法ではありません。「ドーム」の赤い雨に対する無条件な排除も、短期的な効果しかありませんでした。本当の救いの道は合議して協力することにあるのです。 

「赤い雨」のヒロイン瑞樹はスラム生まれで、私利に走った彼女はあばら屋の父を捨て、科学技術の発達したドームで研究を行うようになります。2つの身分を持つ彼女は、赤い雨を無条件に排除する「ドーム」が赤い雨の天敵を見つけ出すことは不可能だと気づきます。十分な実験素材と研究事例はスラムにしかなかったからです。それらの実験素材は人類に善悪の分別をつけた「知恵の実」のようなもので、赤い雨と対抗する鍵は彼女が見つけ出すのを待っていました。そこで彼女は自らその「蛇」となります。神聖な空間は俗世間の空間に突入することができ、人類はそこを出発点として混沌の中から世界を創造しました。同様に、俗世間の空間(赤い雨の世界)の侵入も神聖な空間を「幻滅」させます。彼女が「スラム」の赤い雨を持ち込んだ瞬間、「ドーム」の築いてきた「楽園」が解体され、別の面を向きました。それと同時に、タブーを犯した瑞樹は追い出されてしまいます。瑞樹の科学技術の発達したドームでの研究は終わりましたが、真に有効な研究はこの時に幕を開けたのです。 

希望の種「いつか、この雨が透明に変わる日が来る」 

人類は偉大で、人類はすでに自然を「征服」しているかのようなものです。しかし人類はちっぽけでもあり、このようないわゆる「征服」は、地球の生態の進化システムの中では大海の一粟のような存在に過ぎません。しかもその過程で発生した危機は人類の解決を早急に要しています。目下、人類はベストを尽くして地球温暖化のスピードを遅らせ、この傾向が広がることを阻止するべく努めることしかできません。「赤い雨」の研究者は、自然の進化でチミドロの天敵が現れることに望みを託します。人類、私たちが来し方行く末の知れないこの世界を徹底的に変えることはできませんが、小説では全人類の未来に希望の種をまいています。 

世界がどのように変化するかに関わらず、なお人類に対する信念を維持するのです。フランスの思想家パスカルが『パンセの中で述べているとおり、葦のように人間はひ弱なものの、思考を行うがゆえに命をかける自然よりも気高く偉大なのです。そして小説の最後にも「いつか、この雨が透明に変わる日が来る」という期待が残されています。読者である自分も、今から、人類の抗争と思考、少しずつの行為が、最終的にはきっと未来の希望を点せると信じています。たとえ希望がちっぽけで、平原上の小さな火のようであっても、黎明の直前に射す一筋の微かな光のように。 

 

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