自分を受け入れる勇気~『鼻』を読んで~

2025-01-10 15:15:00

方佳鍩 吉林財経大学 

『鼻』は、禅智というお坊さんが自分の長い鼻に悩んでいる物語だ。禅智の鼻はとても長くて、ご飯を食べる時に茶碗の中に鼻が入ってしまうほどだった。皆は彼の前では何も言わないが、陰で笑い、噂していた。禅智は鼻を小さくしようと試みたが、全くうまくいかなかった。ある日、弟子が医者から聞いた方法を試すと、鼻は正常に戻った。しかし、どうだろう。周囲は相変わらず彼を嘲笑し、それどころか笑い声はさらに大きくなり、弟子までもが彼を馬鹿にするようになった。悲しみに暮れる禅智は、長い鼻のほうが良かったとさえ思うようになるが、ある日、どういうわけか鼻は一晩で元に戻ってしまい、それを知った禅智は喜んだ。 

私は小学生の頃、禅智と似たような経験をしたことがある。ある年の夏、髪を短く切った時のことだ。美容師がうっかり短く切りすぎてしまったのだが、私は涼しくてとても気にいっていた。翌日、私はいつものように登校したが、教室に入ったとたん、みんなが私を見て大声で私を「キノコの頭」とからかった。私は頭にきたし、悲しかった。その日は家に帰ると、すぐに帽子をかぶって、鏡に向かった。私は鏡を見ながら、「これなら大丈夫」と思った。次の日から帽子をかぶって通学した。予想に反し、みんなは私を見て、やはり私をからかった。そして、授業中に帽子をかぶることはできないので、何の役にも立たなかった。3日目からは帽子はかぶらず、以前と同じように学校に行き、ゆっくりと髪が伸びるのを待つほかなかった。  

私はこの体験と『鼻』という作品から人間は自分たちが考えるよりも利己的だということを発見した。不幸な人を見ると誰もが同情するが、それは本当の優しさなのだろうか。心の奥底にある優越感に支配されている人々は、禅智の鼻が皆と同じ形になった時、以前よりも笑い、バカにした。しかし、ここで問題視すべきは他人が感じる優越感ではない。禅智と私に共通する重要なことは、自分自身の考え方である。禅智は他人の目を気にしすぎたために判断力を失い、何度も悩んだ。私たちもそうだ。「普遍的な審美」に惑わされ、自分の外見に不安を感じたり、自分を変えようとする人が多すぎるような気がしてならない。他人の目を過剰に気にすると、容易に自分を見失ってしまう。誤った選択は自分自身を傷つけるだけである。人間はもともと不完全な存在だが、自信は私たちを完璧に近づける薬のようなものだ。では、どうすれば自信を得ることができるのだろうか。それは、禅智が最終的に自分の醜い鼻を受け入れ、喜びを見出したように、自分自身を理解し、許し、受け入れることだ。これは現代社会に対する非常に重要なメッセージであると言えるだろう。自分を受け入れること、またありのままの自分を好きになること。私はこの作品から人生を生きぬくための重要な教訓を得ることができたと思う。 

 

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