イデオロギーの枠を「解放」するために
王璐児 清華大学(初盟教育)
日本のある古本屋で、私は偶然『解放の歌声』という、あまり知られていない一冊の本に出会った。それは、貧しい農村出身で、中学卒業後に都市部の繊維工場へ出稼ぎに来た16~17歳の女性労働者たちが、1952年から1956年の間に綴った作文集である。第二次世界大戦の硝煙がまだ消えぬ中、冷戦の鉄のカーテンが徐々に下ろされつつあった1950年代のことだ。「国家の興亡、匹夫に責あり」という言葉があるが、この作文集の中で、若い女性労働者たちは、この複雑な時代に対して自らの声を上げていた。
現在の世界では紛争が絶えず、各国や各民族間の異なるイデオロギーがその根源となっていることが多い。私はよく、イデオロギーの枠組を超えた中日友好は果たして実現できるのだろうかと考える。しかし、『解放の歌声』に描かれた70年前の平凡な女性労働者たちの姿に、私は新たな可能性を見出した。
『解放の歌声』では、冷戦的な枠組を超えた女性労働者たちの自律心や知的好奇心が際立っている。当時の日本では、冷戦の影響で「赤」は危険思想の象徴とされ、避けられていた。しかし、それにもかかわらず、彼女たちは積極的に中国の書物に触れ、社会主義の新しい中国に対して好奇心や憧れの眼差しを向けていた。例えば、田中美智子は『週刊朝日』の中国特集を興味深く読み、新中国の青年の理想が職場結婚であり、結婚しても女性が職を辞めずに働き続けることに対し、「やはり政治が新しくなると日本では理想としか考えられない事が一般の人たちにどんどん実現されているのだ」と日記に感想を記している。このように、政治的な色眼鏡を外し、自国を客観視し、異文化を謙虚な姿勢で見ることで、前向きな意見が生まれたのではないだろうか。残念なことに、イデオロギーのみならず社会や文化といった様々な要素があるにもかかわらず、現在の資本主義国では中国を「社会主義国家」というレッテルで一括りにし、多面的な「中国」を理解しようとする努力があまり見られない。
また、この本には女性労働者たちの平和を愛する貴い良心も垣間見える。占領期において、GHQは民間検閲支隊による徹底的な検閲を行い、「親米」的なイデオロギーが徹底されていた。しかし、そうした報道傾向に左右されることなく、「必ず命中する爆弾ができた事を人間が喜んでいいものだろうか、あの新兵器で朝鮮の尊い若い人命がどんなに多く殺されただろう。」と、朝鮮戦争に巻き込まれた人々に対して深い同情を示した。イデオロギーを越え、私たちは同じ人間であり、喜怒哀楽という人間性を共有しているのだから、異文化交流には相手の立場に立って考えることが不可欠である。再軍備の問題に直面し、『解放の歌声』を綴った女性労働者たちは、「私たちが兄弟を子供を夫を失うことが悲しければ他国だってそうであろう。なら戦争はいけないことも解るはず、そこで私たちはみんなで考え、考えたことを話し合ったらどうだろう。」と、戦争反対の旗を勇ましく掲げていた。日本の右翼が台頭する今の時代において、この70年前の平和宣言は一層輝きを増すのではないか。
1950年代の若い女性労働者たちは、イデオロギーの枠を「解放」する第一歩を踏み出したと言える。彼女たちの「解放」の事業を受け継ぐ我々は、その試行錯誤に学びながら、中日友好の新たな時代に向かって進んでいくようにしなければならないのだと私は思っている。