闇の彼方は光

2025-01-14 14:05:00

董旭 延辺大学  

柴生田穂の短歌「放課後の暗き階段を上りゐし一人の学生はいづこに行かむ」を読んで、いろいろ考えさせられました。一日の授業が全部終わった後、階段を下りて家に帰るのが普通ですしかし、とある学生が一人で階段を上っています。何回も繰り返して読んでいるうちにその深い意味が分かってきました。 

「暗き」という言葉は、普通光の量が少なく、物がよく見えない状態を指し、行き先が不明である神秘的な雰囲気を作り出します。ひいては性格や気分が陰気で晴れやかではない状態も表します。「階段」とは人生の段階を象徴します。人生の過程における次の段階に向かうことは、新たな挑戦であることがあります。「一人」という言葉は、孤独や寂しいというイメージを与えます。一方、他者からの影響を受けずに自分の道を歩む状態も表します。「いづこに行かむ」という言葉は単に行き先が定かではないのみならず、未来への不確定性、ごく多くの可能性を表します。その学生も初めはきっと暗闇の中で彷徨ったでしょう。その明りの足りない暗い階段を、一人で後ろ向かず、ひたすら上へと上へと上っていきます。学生はいったいどこへいくのでしょうか。 

全体として、この短歌は放課後の静まり返った学校と一人の学生の内面を描いており、それにより若者たちが成長の過程で直面する孤独や未知の未来への不安を映していると思います。不安や孤独を感じながらも、歯を食いしばって自分の進むべき道を模索し、前に進んでいくことを表しているのではないかと思います。 

坦坦たる人生というものはほとんどありません。寄り道、回り道、獣道何でもあります。人はいつもひとつ選択して、生きているのです。人生を、明るく肯定的に考えていくか、辛くて苦しいものとして考えていくか、人間は自分で選ぶことができます。つまり、人生は選択の連続であり、それぞれの信念であります。あの学生も例外ではありません。学生はこれからどうするべきか分かっているのです。「いづこにいかむ」は問いかけているようですが、実は「どこへでも行ける」という強い信念がその学生の心に込められています。道のりが暗く、共に歩む者もいないにもかかわらず、自分で選んだ人生だからこそ、強い信念を持って、諦めず、前へ進んでいくのです。 

有島武郎は「前途は遠い。そして暗い。しかし恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。行け。勇んで。小さきものよ。」と言いました。将来のことはまるで闇のようで誰も分かりません。でも、闇の彼方には光があり、希望があります。挫折や失敗を恐れず、自信を持って歩み続けば、きっと輝く星空が見えると信じています 

 

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