唐風和月:詩に想いを寄せよう
張林俊 四川大学
遣唐使が日本に持ち帰ったといわれる唐紙。谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』で「唐紙や和紙は一種の温かみを感じ、心が落ち着く」と書いた。日本の文学作品に中国の面影を見つけるたびに、中国と日本の文化交流はいつ頃から始まったのか、そして今はどうなっているのかと思わず考える。
そこで、私は歴史を遡り、海を渡った留学生たちの痕跡を訪ねた。まっさきに頭に浮かんできたのは、奈良時代に遣唐使であった阿部仲麻呂のことである。唐名を「晁衡」と称され、「東に行く鑑真、西に来る晁衡」という古代中日交流史の双璧の一つと彼は呼ばれている。彼はその在唐期間、数多くの唐の詩人や官吏などと交流していた。中でも、特に詩仙の李白との友情が特に深かったように見える。『全唐詩』に『哭晁卿衡』という李白の詩がある。
晁卿衡を哭す
日本の晁卿 帝都を辭し、
征帆一片 蓬壺を繞る。
明月歸らず 碧海に沈み、
白雲愁色 蒼梧に滿つ。
また、阿倍仲麻呂が書いた『天の原』は、『古今和歌集』巻第九の羈旅歌の冒頭を飾っている。
「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも」
この和歌に、異国の空の月を仰いで故国の日本を偲んだ彼の心情が思われる。李白の名作「頭を挙げて、山月を望み」と通じるものがあるため、李白に返事をするために詠じた和歌であるという説もある。詩歌そのものが知識人階層における社交手段やルートとなった唐の社会で、詩文に長ずる仲麻呂と詩仙の李白の、いわゆる「風雅之交」は、感慨深い。
しかし、歴史から目を離して、今に着目したらどうだろう。
私が生きている21世紀は、他の時代の人にとっては奇跡の時代かもしれない。インターネットと交通機関の発達によって、国を渡るコストが一気に減った。それだけではなく、マスメディアから世界中の出来事を知ることもできる。科学技術が発展していくにつれて、阿倍仲麻呂と李白のような熱い友情がもう一度、私たちの周りに現れるだろうか。
私は「現れる」と思う。私は日本に行ったことがないが、日本の文化を日本文学の随所に感じている。また、インターネットで中国語に興味ある日本人も知り、彼らが書いた中国語文章に手を加えさせていただいている。私たちは一時間の時差の中で、考えを交わし、話に花を咲かせる。唐紙にせよ、詩歌にせよ、現代の映画やドラマやビデオゲームにせよ、文化が載せられる文芸がなくなることがない限り、国籍、民族に関わらず、人と人の架け橋が必ず構築される。
三年ほど前、コロナ禍で「山川異域、風月同天」の美談に痛く胸を打たれたが、あれは何故かと考えると、やはり詩に寄せた感情であるからと思う。科学技術が重視されている現在こそ、文化を軽んじてはならない理由がそこにあるのだろう。
詩を通じて心に友情の種を蒔いて、友好の花を咲かせたように、中日の友好がより深まることを心から祈念する。