舟を編みたい

2025-01-14 14:22:00

胡新悦 北京外国語大学  

「でも…出版業はもう終わりだね」 

将来何がしたいかと聞かれるたびに、「編集者になりたい」と答えたあと、いつもこのような自嘲っぽい言葉を添えてしまう。かつて新聞や本さえあれば読み漁っていた人は、今ではショートビデオから目を離さなくなり、図書館に行っても、パソコンを触る人が本を読むのよりずっと多いような気がする。おまけに、デジタル化社会において、こつこつと文字と向き合う出版業は、素早く大量な情報を処理できる人工知能にどうも追いつけなさそうで、どんどん時代に取り残されていくのではないかと。編集者になる理想を抱えつつも、揺れ動きだしそうな出版業に飛び込む勇気は果たして自分にあるのか、迷ったことがよくある。 

その時、『舟を編む』という映画に出会った。三浦しをんの同名小説から脚色され、「今を生きる」辞書を目指し、十五年の歳月をかけて、辞書の世界にのめり込んだ編集者たちの苦労と情熱を描いた作品だった。主人公の馬締(まじめ)はその名前の通り、まじめな変人と見なされている。「いつの時代も、みんな手っ取り早く儲けられるもののほうに飛びつく」のが常だと思われる時代では、馬締さんは途方もないような辞書づくりの作業に対して、固執なぐらいひたむきな責任感を貫いている。用例採集カードを一枚一枚扱っているうちに、指紋がすり減るほどになり、用例一つでも抜けると、不眠不休で編集部に泊まり込み、全書の校閲をやり直す。これほどの責任感を持てるのは、「辞書は言葉の海を渡る舟、編集者はその海を渡る舟を編んでいく」と信じているからだ。 

「言葉の海を渡る舟を編んでいく」。これこそ編集という仕事の本質であり、そこから尊さが生まれてくるのだろう。スマホで検索すれば言葉の意味がすぐに出てくる今の時代では、辞書が無用の長物に思えるのに象徴されるように、出版業全体は時代遅れとされつつある。しかし、ネットメディアがもたらすおびただしい情報は華やかで目を引くものの、しばしば丁寧に直されておらず、粗雑に作られた舟のように、到底言葉の海を遠くへ渡ることができない。なぜなら、言葉は単なる意味を伝える道具ではなく、感情を届け、心を揺さぶる力も持っているからだ。その力は一言一句の隅々に潜んでおり、何十年もかけて使い方を検討し、出典を探し、繰り返し校正して初めて引き出されるものである。その価値は、人工知能から得難いものである。 

言葉は乾くことのない大海原で、その広大さに感服し、美しさに目を奪われた人もいれば、舟に乗って、より遠くまで見たいと願う人もいる。その海を渡る丈夫で質素な舟を編むのは、編集者にしかできない聖なる手仕事であり、編集者に課せられた尊い責任でもある。 

『舟を編む』を観て、編集業へ前進し続ける勇気をもらった。言葉の海はどれだけ広く美しいか、より多くの人に知ってもらうために、舟を編んでいきたい。 

 

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