極楽と地獄を結ぶ細い糸

2025-01-14 14:49:00

  呉馨宇 四川軽化工大学 

「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」これは悪党のカンダタが、林で見つけた蜘蛛を踏みつぶそうとしたときに、思い直してやめた時の言葉である。 

カンダタはいろいろな悪事をしたけど、道端を這っていく「小さな蜘蛛」を助けるだけの善の心は持っていた。このような悪人とも、優しいことをする時もあるんだと不思議でたまなかった。その小さいな善行のおかげで、本来地獄に落ちたカンダタはお釈迦様から自分を救われる蜘蛛の糸をもらった。 

このことから、私は中国の古い言葉を思いついた。「悪、小なるを以てこれを為すなかれ。善、小なるを以てこれを為さざるなかれ。」要するに、小さな善行は大きな善行に積み重なり、小さな悪行も大きな悪行に積み重なることがある。人間は本来人間のものである「善」をもっているとともに、醜い我欲もある。「善」と「悪」の一念の差は極楽と地獄の違う結局を決める。 

『蜘蛛の糸』は、芥川が初めて児童向けに書いた作品である。お釈迦様とカンダタは、蜘蛛の糸という縁で繋がっていた。残念ながら、カンダタはこのせっかくの機会を生かすことができなかった。自分だけ地獄から抜け出さそうとする無慈悲な心が、その相当な罸をうけて、元の地獄へ落ちてしまった。 

「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己おれのものだぞ。お前たちは一体誰に尋きいて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」これは蜘蛛の糸をつかんで登ろうとする他の罪人たちにカンダタが放った言葉である。切羽詰まった時にこそ出る人間の本性。自分のしたことはやがて自分に返ってくる。「自分さえ助かれば」という考えを抱いてしまったために助からなかったカンダタ。罪人たちを蹴落とそうとした瞬間切れてしまった蜘蛛の糸。罪人であるカンダタの生前に行った唯一の善行を見ていたお釈迦様が、チャンスを与えるも、自らの卑しさでそれをふいにしてしまった。 

一つの細い蜘蛛の糸は極楽と地獄を結び、人間は善良な心で極楽を目指せるが、利己的だと地獄に落ちる。カンダタが他の罪人に思いやりを持っていたら結果はどうなったか。普通の人間がカンダタの立場ならどうするか。我欲を捨てれば皆極楽に行けるのではないか。芥川龍之介はこの小説で勧善懲悪のモラルと人間悪の披露を通じて覚悟と自律を期待していると思う。 

カンダタの行動を見て、どう心が動いたか、それと向き合っていくことが大切だと思う。いうまでもなく、人間性には明るい面と暗い面がある。一人の真の変化は、内なる善意と自己省察から生まれる。私は善良を保ち、敬虔な心を持つことが人としての根本だと考えている。慈悲と寛容を持ってこの世界に向き合うことが重要だと思う。 

 

 

 

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