さようなら太宰治

2025-01-14 14:58:00

何鈺鳳 河北保定外国語学校 

 

『人間失格』は、主人公の葉蔵が絶望的な人生経験および自己放逐し、堕落し続ける様子を通じて、現実の厳しさ、人間の複雑さと偽善さに直面した時の人の迷いや苦しみ、絶望を深く暴露し、人間性と自己の存在意義に対する苦悩を描いています。 

主人公の葉蔵は頭のいい人です。子供の頃から大人まで、人を喜ばせることはできるが、自分を喜ばせることはできません。彼は他人の心を見通すことができますが、自分が本当に欲しいものは見えていません。自分が何を求めているのかわからないまま、死を待つしかありません。 

この本を読むと、私は長い間気分が沈んでいました。欲望に満ちた人の心には底がありません。彼はそのことを知っています。だから、彼はよく酒を飲んで、夢の中に逃げ込みます。「弱虫は幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。」その言葉は特別に悲しいです。 

時々彼の生活にも光があります。彼のそばにも善良な妻がいます。彼は人間である以上、人間としての格があると思っていました。しかし、ある友人との出会いで、再び絶望に陥り、ついて自己破滅の道へ歩んでいきました。 

これは太宰治の最後の作品です。その内容は彼の人生経験とも言えます。作者自身は小さい時から点数が高い優秀な学生でした。だんだん世の中の暗さを知り、自殺を考え始めるようになりました。しかし、数回にわたる自殺も成功できませんでした。彼は本の中で「嫌な事を嫌と言わず、また好きな事も、おずおずと盗むように。」「いかに大きな悲哀が後でやって来てもいい、荒っぽい大きな歓楽が欲しい」「世上の言い方はみなそう曲がりくねりでぼやけていて、そう無責任で、そう微妙で複雑なものだ」「私は誰かに愛されていることは知っているが、愛する能力がないようだ」「私の不幸は、断る能力がないことにある。だから、もし人に誘われたら、断るとする相手の心にも自分の心にも明らかに見える、永遠に修復できない割れ目を残念に思うからだ」と書いてあります。本の中の主人公は自殺をしないが、太宰治自身は川で自殺しました。 

『人間失格』は人の暗い面を余すところなく見せています。人はよく自分を放縦していながら救いを渇望します。しかし、自分をコントロールできなく、結局本心を失って、この世に生きていく意義も見つからなくなります。一方、隙間のあるところこそ、光が入り込むこともできません。この世界が想像しているようにならない以上、自己破滅よりも現実を認めて、世界と和解し、自分に生きていけるチャンスを与えるのも一種の逃げ道ではないかと私は思います。 

『人間失格』は、警鐘のように、今でも麻痺していた私の心を強烈に揺さぶり続けています。 

 

 
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