愛の両面性

2025-01-14 15:31:00

魏輝 江西科技師範大学 

 

どのように人を愛すべきだろうか。ドラマ『過保護のカホコ』を観た人なら、何かしら自分の答えを持つだろうと思う。 

カホコは、家族の愛情に包まれて育てられた女の子で、家族の関心と保護に満ちた生活を送っていた。父は優しく穏やかで、母は至れり尽くせりで面倒を見てくれる。とにかく、家族全員が愛を注いでくれた。この愛に満ちた環境の中で、カホコは楽観的で明るい性格を形成し、周りの人々を太陽のような光に当っている。 

すべてが完璧に見えるようだが、ドラマのタイトル通り、カホコは「過保護」され自分らしさを失ってしまい、母親に頼ることしかできなくなっていた。しかし、恋人の麦野初との付き合いを通じて、カホコは次第に母の愛が重すぎて、自分の道を進めないことに気づき始めた。 

愛の力が強すぎると、かえって子供を縛るロープとなり、成長の妨げになることはよく知られている。現実社会にも、このような過保護現象はよく見られる。ある家庭では、親や祖父母が子供にあまりに手厚い世話をするため、子供が基本的な自立能力を失ってしまうこともある。例えば、中国の映画『罪愛』では、過保護で育てられた息子が、両親が亡くなった後、何もできずに家で餓死してしまうという実話を基にした物語だ。一見、信じられない話だろう、だが、実際にこのようなことが起こり得るのだ。 

過保護に育てられた子供は、温室の花のように、外の風雨に耐えられず、結局コンフォートゾーンに閉じこもるしかなくなり、外の世界に一歩踏み出すことさえできなくなってしまうのだ。 

ドラマの後半では、カホコは恋人の支えを受けながら、新しい挑戦に取り組み、独立した思考を試み、自分の未来を計画するようになった。この過程でたとえ失敗しても、依然として自分の選択を信じ続けた。その姿を見た母親も、ついに手を放し、カホコが自分で人生を歩むことを許してやった。最終的にカホコは、恋人や家族の助けを得て、人生の意味と自分の進むべき道を見つけることに成功した。 

「可愛い子には旅をさせよ」という諺が言われたように、過保護よりも、親が子供を手放したほうがいい。適切な愛とは甘やかすことでもなく、無理に自由にさせることでもなく、必要な時に注意を与え、うまくいかない時に応援することである。このような愛の中で、子供は自由と自信を持っていて、自らの意志と能力に基づいて選択できて、その過程から成長していく。たとえ失敗しても、後ろには支えてくれ、自分を愛した人がいることを知っているからこそ、何度も挑戦することができるのだ。   

諺の「バラに棘あり」と言ったように、愛には両面性がある。過度の愛は人を縛りつけるが、適切な愛は人を前進させる力となる。だから、子供が成長する過程で、親が手を放し、自分の力で道を探求させたほうがいい。 

 

 
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