人生とは何か
杜宛霖 広東海洋大学
夏休み、ある日の午後、私は偶然に『蟲師』というアニメに出会った。最初はただそのテーマに引かれ、好奇心が湧いたが、漫画を読みつつ、主人公ギンコの旅に自分はこれからどう生きるかという共感を求めるようになった。
ギンコという人は普通の人間には見えない蟲を見ることができるバグマスターである。蟲はこのアニメでは一番重要な存在であるが、蟲のいるところには必ずギンコがいる。このアニメでは人間と蟲の世界を巡り、人生の旅をし、蟲と人間の共存の可能性を探っている。漫画『露を吸う群れ』の章から深い啓示を見出した。ある島にいる少女がアサガオの香りを嗅ぐことで生き神となり、夕暮れとともに老衰したと、村人たちが供養にやってくるというものを語った。しかし、その裏には、その娘が蟲に寄生されていることを利用して私利私欲を満たそうとする少女の父親の欲がある。ギンコの登場によって真実が明らかになり、少女は癒される。しかし、病気が治った後で、少女は日々平凡な生活、島の周りに広がる果てしない海、また、次から次へとやってくる未知の明日を前に、深い恐怖と無力感を感じる。結局、彼女は再び蟲に寄生されて、憧れの生活を送る。
少女の選択は自由への切望なのか、それとも現実逃避なのか。ギンコの敬意は少女の選択を認めることなのか、それとも人生の多様性を受け入れることなのか。咲いては散るアサガオと、浮いたり沈んだりする少女の人生、また人間の短さと循環性を考えると、私たちも昨日の悲しみを忘れ、新しい日の自由を受け入れるような
「気楽な」人生を追い求めているのではないだろうか?
現実を振り返れば、私たちの人生も少女の選択のように、未知と選択肢に満ちている。私たちは自分の人生の主人公であり、自分の人生をどう生きるかを決める権利がある。少女の選択は、最初は私を混乱させたが、深く考えてみると、すべての人間には自分なりの価値と意味があることに気づいた。他人の目にとらわれたり、「普通」を求めたりするのではなく、自分の決めることを求めていくのである。人生は短くて大切である。その終わりを恐れる人もいれば、率直に向き合う人もいる。毎日が新たな始まりだとしたら、私たちは少女のように勇気を持って未知の世界に立ち向かい、人生を精一杯生きることができるだろうか。ギンコの旅も、少女の選択も、生きる意味はその長さにあるのではなく、それをどのように過ごし、どう感じるかと教えてくれている。
このアニメのエピソードは、私の内なる疑惑と切望を映し出す鏡のようだった。すべての人間の生活は、独自の旅であり、皆は自分の道を選択し、自分の幸せを追求する権利がある。人生の旅には迷いも恐れもあるが、勇気をだして、将来の道を選ばれば、どんな結果になっても、後悔しないことができる。人生とはそういうものである。平凡で穏やかに過ごすこともできるし、自分の価値をもっと見つけるために大きくて聳え立つ山を登ることもできる。