ワンダフルな毎日を大切に
張靖苒 復旦大学
交換留学で来日し、しばらく新小岩に仮住まいをすることになった。ゲストハウスは総武線のすぐそばにあり、部屋にいると列車が通り過ぎる音がよく聞こえてくる。その音が耳に入ると、目をつむっていても、異郷にいることが分かる。
ふと、中国の駅や鉄道の様子、そして列車の音について、何も思い出せないことに気がついた。子供の頃から数えきれないほど電車で旅をしてきたのに、音など気にしたことがなかった。
その電車音に、私はある映画を思い出した。それは、是枝裕和映画展で観た『ワンダフルライフ』だ。「天国」という駅が舞台で、死んだ者がそこに一週間滞在し、その人生における最も大切な思い出をスタッフの助けで映画化する。そして、その記憶が死者の脳裏に蘇った瞬間、彼らは死後の世界へ旅立つ。これがこの映画のおおまかな内容だ。
「天国駅」に来た旅人たちは、実に様々な記憶を選んでいる。妻と公園のベンチに座って過ごした午後、戦争で離ればなれになっていた恋人と何十年ぶりに再会した瞬間、地震で母親と一緒に竹林に避難したこと。
印象深かったのは、75歳の多多羅君子だ。彼女は幼い頃赤いドレスを着て兄と踊りに行った記憶を人生映画にすることにした。撮影のため、多多羅君子は赤いドレスを着た小さな女優にそのダンスを教えるが、ハンカチをどのように揺らすかなど、ダンスの細部が思い出せず、ためらい、立ち止まり、考える。しかし、ついに満足げな笑みを浮かべながら、兄が見たらきっと喜ぶわとスタッフに言って正確に思い出すのをやめた。それを見た時、私は、ダンスよりも大切な人と過ごした時間や、そこに確かに存在していたぬくもりこそが、かけがえのないものなのだと気づいた。
もし本当にこのような「天国駅」が存在するとしたら、私は自分の人生映画の題材に何を選ぶだろうかと考えた。私はかつて、その人の人生は生まれた時代と場所で決まるものだと思っていた。戦争の時代に生まれた人は、不幸にも戦場へ駆り出され、若くして死んでしまう。高度経済成長の時代に生まれた人は、物の豊かさを享受できるが、激しい競争に明け暮れ、青春をゆっくり味わう暇もない。しかし、この映画は、時代に関係なく、そこに生きる人の平凡ながらも豊かな人生を見せてくれた。壮大な歴史の中の、確かにそこにある日常生活に目を向ければ、同じ人生を歩んだ人は一人もいないことがわかる。
そこに思い至った私はいろいろな音を録音し始めた。虫や鳥の鳴き声、近くの中学校のチャイムの音、部屋のすぐ近くを走っていく列車の音など、私の周りにある音を、異国の思い出として残そうと思ったのだ。そして、短期留学を終えて中国での日常に戻っても、もっと周りの音に耳を傾け、身近にいる人と触れ合って過ごそうと心に決めた。