2025-01-14 16:05:00

 

王景菲(東北大学) 

森本哲郎先生の「砂漠への旅」は、読書と実践と同じように大切だということについて書いている。この作品を読みながら、作者と一緒に旅をするような気持ちになる。 

「世界は一冊の書物だ。旅をするということは、その巨大な本のページを繰ってゆくことである。」本を読むということはもちろん勉強だと言えるが、旅をするということは、実際にある未知の所へ行って、そこでいろいろと体験して、これも勉強とも言える。この隠喩法は実に効果的である。海外の世界のことを知らない島国にいる日本人を「井の中の蛙」とたとえている。「井の中の蛙大海を知らず」は、中国の古典「荘子(秋水篇)」からの出典であるが、「考えや知識が狭くて、もっと広い世界があることを知らない」ということを言っている。この比喩によって、難しい内容が分かりやすくなった。このように旅の第一段階では文章表現における比喩表現のすばらしさが分かった。 

次に文章の中に「人間至る処青山有り」という文があるが、これは江戸時代の釈月性の「将に東遊せんとして壁に題す」という詩の最後の一句であり、原文は下記のとおりである。「男児志を立てて郷関を出づ、学若し成る無くんば復た還らず、骨を埋むる。何ぞ期せん墳墓の地、人間到る処青山有り」、男というもの、いったん志を立てて故郷を出るからには、学問がもし成就しなければ、二度と還らぬつもりだということを言っている。つまり、志の大切さを説いている。また、日本北海道大学のキャンパスにあるアメリカの教育家であるクラーク先生の別離の言葉「少年よ大志を抱け」は有名であるが、これを読んで、つくづくと自分も今までの自分を反省し、これからの計画をもう一度立て直さないといけないと思った。このように旅の第二の段階では志を立てることの大切さがわかった。 

第三に、日本人の「旅」という言葉には特別な感情が現れる。つまり、よそへ行くんだ、外の世界へ出るんだ、という感じであり、寂しい、心細い、特別な味わいがある。江戸時代の有名な俳人松尾芭蕉の書いた「奥の細道」は、よその地を回って歩く寂しさ、心細さが旅の文学の基調をなしている。松尾芭蕉にとって、この世のすべてが変化し続けている、それは旅のようなものだ。だから、人間にとって旅が最も自然で純粋な生き方である。また日本語の中で、「可愛い子には旅をさせよ」という言葉があるが、子供は、甘やかして育てるより、手許から離してつらい経験をさせ、世の中の辛苦をなめさせたほうが良い、ということを言っている。このように旅の第三の段階では、日本人にとって旅の本当の意味が分かった。 

文章の中の「千里の道、万巻の書」は中国明代の文人董其昌の言葉「万巻の書を読み、万里の路を行く。」によるが、本から得た知識と実践から得た経験は同じように大事だと言っている。もしかしたら、これこそ今回の旅での最大の収穫と言える。 

 

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