『進撃の巨人』から伝えた愛の力
朱霖(上海市商業学校)
友達と話しているうちに、『進撃の巨人』というアニメを知った。最初は、これは普通の戦闘というものだと思っていたが、じっくり読んでみると、その感情や中身は多くの作品とは比べものにならないものだと強く感じた。
物語の始まりは、人類が巨人に対抗するために三つの高い壁を築き、百年の平和を手に入れたことである。しかし、平和が破られ、巨人がパラディ島を襲い始めると、人類は再び恐怖と屈辱に陥った。主人公たちは勇ましく立ち上がり、調査兵団に加わり、巨人との戦いを展開した。ここまで読んできたら、これまでの予想をすべて覆して、更に興味が溢れてきた。終わりに、エレンは仲間のために死んだ。全体の作品の中で最も曖昧ではっきりしない二人:エレンと三笠である。エレンが言えなかった答えは、三笠がずっと待っていた。
最後まで二人の壁を突き破らなかった。二人はお互いに感情を持ったが、世界は二人の愛情を実現させなかった。この二人だけの幸せな世界線によって、世界の戦争が控えられない。多くの人は戦火の中で続々と死んでいく。三笠にとっては、良くない結末でしたが、エレンにとっては、できる限りの結末だった。私は思わず悲痛な愛情の結末に涙を落とした。
エレンの三笠への愛は、ただの付き添いではなく、三笠が平和な時代で生きていくお願いである。しかし、エレンは彼への三笠の気持ちを過小評価していた。三笠は生涯独身で、エレンが彼女にかけてくれたマフラーをずっと巻いていた。子供の頃一緒に涼を取った大木の下に座って、エレンの墓の前で見守っていた。この愛は時空を越える。作品の挿入歌からエレンの三笠に対する愛が感じられる。『悪魔の子』の歌詞のように:「世界は残酷だ。それでも君を愛すよ。なにを犠牲にしても。それでも君を守るよ。」当時の厳しい状況、戦争、人種対立、政治の腐敗が分かってきた。たとえこのように残酷な場面の下で、彼は依然として黙々としての愛、自分の愛する人を守って、たとえ自分の生命を捨てても惜しまない。
劇の中で巧みに巨人を喩えて、人種主義、全体の統治、戦争の倫理と歴史の真相などの深層の社会問題に触れた。この世界の中で、絶対の正義がなくて、絶対の邪悪もない。残酷な世界の中で生存を求める人もいれば、残酷な世の中で、黙々としての愛を伝える人もいる。完璧かつ憂え悲しむことがある終わりを作って、その思考と感動は依然として私の心の中で反響する。
現実では、困難に陥って無力な状況で、私たちも直面して、勇気を出して乗り越えなければならない。自分のことを愛して、見守ってくれた人がいる。また、愛すべきで、見守っていく人もいる。これらは希望を持つ理由である。簡単に諦めようと言ってはいけない。できる限り、自分が満足できるようなハッピーエンドを作れるよう、頑張っていく。