子供時代を思い出し、世界を変える力にする!
張楨硯(福州大学外国語学院)
子供は、現実を知らず、理解しがたい奇妙な存在だと思っていた。昨年、大学活動の一環として小学校に行き、子供の週1回の授業を担当し、多くの問題を抱えたからだ。例えば、子供は気分の変化が激しく、些細なことで喧嘩をするが、すぐに仲直りしてしまう。また、授業中であろうとなかろうと、自分の世界に没頭してしまう。そんな子供の「不思議さ」を目の当たりにしつつ、私は「変な」と評された、一人の少女を思い出した。 それは「トットちゃん」。そう、『窓ぎわのトットちゃん』の作者・黒柳徹子その人である。
『窓ぎわのトットちゃん』を初めて読んだのは、小学生の頃だ。しかし、私は当時、トットちゃんと同じ年頃だったので、彼女の学校の華やかな活動、優しい先生、面白いクラスメートを、羨ましく思っただけだった。しかし、小学生の授業を担当したことをきっかけに、「なぜ黒柳徹子は、自分の子供時代を、大人ではなく子供の視点から書いたのか」という疑問に思いを巡らせた。
「大人になる」とは、心身が成熟する過程であると同時に、子供時代を忘れていく過程でもある。考え方も変わるのだから、大人になると、子供の頃の自分に共感すらできないこともある。大人になった自分は、小学生の行動を「おかしい」と思ったのだが、その時、子供の頃の自分も、大人には理解できない行動をとっていたことを忘れている。そう思うと作者は、トットちゃんの視点から自分の子供時代を観察することで、「子供時代を思い出すことの大切さ」を読者に伝えているのではないかと思った。
では、なぜ子供時代は大切なのか。作者は、トットちゃんの華やかな学校生活での「喜び」だけでなく、他の子供たちと違うという理由で退学を余儀なくされ、戦争によって父親を失った子供の「痛み」を、当時の時代背景を一切書かないで、赤裸々に描いて見せる。黒柳徹子は、こうした子供の「感受性」を忘れていないからこそ、執筆活動や国連での活動を通して、世界の多くの子供たちに愛を与えることができたのだろう。そう考えると「子供の自分が、どのような世界に喜びと悲しみを覚えていたか」を思い出すことは、私たちが今後「世界をいかに変えるか」を決めるために役立つのだ。トットちゃんの視点から、この残酷で美しい世界を観察することで、読者の子供時代の記憶も呼び覚まされる。同時に、私たちは大人として、次世代の子供たちのための世界を創る責任を喚起される。子供時代を忘れないということ、それは「私たちが世界を、どのように変えていけるか」という点でも、非常に重要なことなのである。
トットちゃんは子供の頃に感じた愛を世界に蒔いた。その愛を受け止めたわれわれもまた、「子供時代に感じた愛と痛み」を思い出し、より良き世界へ前進していこうとする。その力は、今後、世界を変える原動力となり、次世代の子供たちが「自分の物語」を書くために筆をとるための原動力となるはずだ。