私が星になる日
滕玥(吉林財経大学)
『よだかの星』の主人公よだかは、顔は味噌をつけたようにまだらで、くちばしは平たく、耳まで裂けている鳥だ。その醜い外見のために、他の鳥から嫌われ、いじめられていた。ある日、虫を殺めることの罪悪感に目覚めたよだかは「もう虫を食べずに餓死してしまおう。その前に遠くの空の向こうに行ってしまおう」と決意する。太陽にも星にも受け入れてもらえなかったよだかであったが、決して諦めずに夜空を飛び続け、最終的には空で燃えつきて星になった。作者である宮沢賢治もまた現実世界で両親との宗教信仰や職業選択での対立により、ずっと苦しみと孤独を感じていた。よだかはまさに苦しみながら生きた賢治そのものであり、賢治は苦しくても努力を続け、自分の信仰を守り続けたことを私たちに伝えたかったのだろう。
この物語に出会い、私は高校生の頃のイベントを思い出した。私は太っているので、もちろん主役ではない。ステージの隅で踊る引き立て役だ。それでも私は真剣だった。家に帰っても鏡の前で練習した。ある日、練習を母に見られたことがあった。母は「こんなに太っていてダンスができるの?」となかば呆れていた。私は鏡の中の太った自分を見ながら、親からも支持されないことをしようとしてしているのだとわかり、少し悲しくなった。次の日の練習では、なんだかみんなが私のことをひそひそと噂しているような気がして、「このまま諦めて他の人に代わってもらったほうがいいのではないか」とさえ思うようになっていた。しかし、やはり私はステージに立ちたかったし、最後まで諦めたくなかった。私はダンスのテクニックを学び、動画を見ながら練習を重ねた。当日、私はスポットライトに照らされ、まるで太陽の光を浴びているような気がした。そして、踊っているうちに、楽しくなって自分も青く美しい光になったような錯覚を覚えた。
もし、よだかが自分の信念を追い求め続けなければ、星には転生できなかったかもしれない。もし私が諦めたら、自己満足ではあるが、私もステージで輝くことはできなかっただろう。現代社会では、みんな本当の自分になることを恐れ、孤立することを恐れ、自分がうまくできないことを恐れ、どんどん自信を喪失していっているような気がする。しかし、私は宮沢賢治の生き方から苦しくてもやり通せば、自分を輝かせることは可能であるし、信念があれば、人の痛みや苦しみを理解することができるのではないかと思ようになった。よだかは絶えず飛び続け、最後に燃え尽きて美しく輝く星になった。最後までやり抜いたからこそ得られた結果だ。始めなければ、成功する可能性はいつまでたってもゼロだ。どんなことでもやり抜けば、自信が育ち、そこから勇気が湧き、それが自分の背中を前に一歩押してくれるから、なりたい自分を手に入れることができるのかもしれない。私は自分が星になる日をめざして、飛び続けていきたい。