「古畑任三郎」を観た感想

2025-01-16 15:28:00

張静怡(武漢理工大学) 

「以上です。古畑任三郎でした。」 これは、90年代に有名になった田村正和主演の犯罪捜査ドラマの古典的なエンディングラインだ。昨年この言葉を聞いたとき、私はすぐに惹かれ、2ヶ月ですべてのエピソードを見終わった。そして、主人公チームの性格的魅力に深く感動させられた。同時に、このテレビシリーズのプロットと主人公の設定は、日本の政治、医学、弁護士など、さまざまな人々や文化をカバーしており、視聴者が日本の社会や文化の特徴をよりよく理解するのに役立つとも感じた。    

このテレビシリーズは、アメリカの映画シリーズ「刑事コロンボ」をモデルにしており、各エピソードは独立した物語になっている。最初に古畑が事件の冒頭のセリフを紹介し、次にフラッシュバックを使用して犯人の犯罪の状況を明らかにする。そして犯人との会話と彼への疑いを決定づけるための証拠から説明していき、犯人に自らの犯罪を自白させる。犯人も、シームレスな殺人計画が古畑の目だけはごまかせないことを悟るのだ。彼の有名な言葉は、「真の完全犯罪などというものはない」と「私の目の前で罪を犯すことは、マジシャンの前で魔術をかけるようなものだ」というものだ。主人公チームは主演の古畑任三郎、そして部下の今泉、西園寺、向島などで、各話の主人公には中森明菜、木村拓哉、鈴木保奈美など、注目の俳優たちが、異なる職業的アイデンティティで異なるキャラクターストーリーを繰り広げているのが特徴だ。 

また、「古畑任三郎」のプロット構成は比較的独立しており、各エピソードが完結しているため、日本語学習者にとっても非常に有益だ。言語の学習は蓄積して繰り返すのに長い時間がかかるが、この番組の各エピソードは新しいストーリーであり、独立していて一貫性がある。日本語学習者は、エピソードを個別に視聴し、そのエピソードに登場する語彙や文法に集中して取り組める。 

日本語を学ぶ過程では、文化的背景を理解することも重要だ。「古畑任三郎」は単なる刑事ドラマではなく、日本の社会文化や生活習慣、礼儀作法などの要素を数多く取り入れている。このドラマを観ることで、日本人の人に対する接し方、社会のルール、法制度、対人関係の繊細さや複雑さなど、日本文化の意味合いをより深く理解することが可能だ。言語学習は語彙や文法を習得するだけでなく、言語の背後にある文化や考え方を理解することも重要であるため、この種の文化学習は日本語学習者にとって特に重要になってくる。 

私から見れば、「古畑任三郎」は日本語を学ぶための非常に教育的な教材だ。独自のナレーションテクニックと豊かな言語スタイルにより、日本語学習者に本格的で多様な言語環境を提供してくれている。日本語と日本文化に興味がある人にとって、この作品は間違いなく90年代の日本の文化的特徴を理解する絶好の機会だと言える。 

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