人生は必ず燦々となれる
賈浩(中国海洋大学)
蛍のような人生としても、必ず輝く時が来る。それは、宮本輝の『螢川』を読んだあと率直な感想だ。
『螢川』は、父と親友が相次いで亡き、初恋が始まらずにお仕舞いになり、母と未知なまちへ行かざるを得ない少年は、人生の苦みを味わっているうちに、生命の美しさを見つかり、新しい生活を求めるのを述べている。小説の最後に、数え切れない蛍たちは乱舞しながら、艶やかな光を輝いているシーンは、特に深い印象を残っている。光っている蛍たちのは人間にとっては美しい景色だが、それは蛍が死ぬ前に異性を惹き、子供を産むからで、その蛍自体にとっては死亡のシンボルといってよい。しかし、それからはまた新しい生命が生まれ、新しいエピソードを開ける。光っていることが、蛍は知らないかもしれないが、確かに別の形でこの世に残っている。したがって、小説に主人公が光っている蛍の群れを見るとき、私もすごく感動した。
人生は蛍のように、短くてささやかだ。大人になればなるほど、自分が個体としての無力感が湧き出てくる。「どうせ私は偉い人になれない」や、「自分らしく生きられない」なんて、迷いながら平凡な日々を送っている。しかし物は信じよう。どのようなつまらない人生でも、必ず幸せな瞬きがある。私は高校三年生のとき、通学路のバスで一人の母親と二人の子供を見た。子供たちはずっとにぎやかで、自分の喜びをまるで出すように大声で母親に話した。しかし、母親さんはただ微笑んで彼らを見ていた。どのような幸せな親子だと思ったら、不意に見つけたのは、母親さんの耳にかけていた補聴器のようなものだ。その母親さんは本当に幸せか。自分の子供の声すら聞こえないのは、きっととても辛いだろう。しかし、親子達は全然それを気にせずに、自分が作った幸せの空間に楽しんだ。彼らは確かに幸せだ。なぜなら、彼らは「自分は幸せだ」ということをずっと信じている。そして、その信念は私を変え、前向きに平凡な人生を楽しみたい人になっている。人生の輝きはすぐに見つけるとは言えないが、いったん信じて、いつか輝くなれるように努力すれば、人生は美しくなれるのではないだろうか。自分の人生に価値があるのを信じるこそ、前向きに生活を送り、周りの人に積極的なメッセージを送り、さらに世界を変えるのができる。そのようにしたら、たとえ私達がいなくなっても、別の形でこの世界で跡を残せる。これは生命の輝きを呼べないと何を呼べばいい。
私は残りの人生にも蛍になりたい。なぜかというと、人生は必ず燦々となれるのを信じているからだ。