優秀な落選者
孔楽児(恵州学院)
最近、浅倉秋成の『六人の嘘つきな大学生』を読んで、マーク・トウェインの、「月のように、それぞれ人には見られたくない面がある」という言葉を思い出した。反転が繰り返される中で、自分が囚われていた先入観に気づいた。
これは六人の大学生が就職活動の選抜を経て、最終面接に来た物語だ。最終面接はグループディスカッションで行われ、六人全員内定もあり得ると言われた。しかし、どういうわけか突然採用枠が一人に変更され、ディスカッションの議題が「六人のうち誰が一番、内定に相応しいか」に変更された。それまでの過程でお互いをよく知っていた六人だが、お互いに警戒し始め、討論当日には六人に対する告発状まで提出された。彼らはこれを六人のうちの一人の仕業だ気づいた。
この六通の告発状を作った人は、自分が内定を受けるためにそうしたのだ!当然、私はそう思った。そして、真実が明らかになるまで、私は本当の黒幕を探していた。だからこそ、読後、私は考えが落ち着かなかった。
黒幕は、二次面接で不採用となった優秀な友人を持ち、自分だけ最終面接に進んだ九賀蒼太だった。彼は、「企業は本当に優秀な人材を選ぶことができるのか」と疑問を投げかけ、怒り、告発状を作ったのだ。
確かに、私も疑問に思った。企業の面接官はキラキラした履歴書と数時間の面談で、そんなに短い時間で、相手の何を理解することができるのだろうか?
この小説は、最初から最後まで本の中のさまざまな人物に対する印象が何度も変わる。作者はそれを利用して私の先入観をぐるぐる振り回し、困惑させ、だからこそこの小説は面白い。
人間の本性は白黒ではないことはずっと前から知っている。人を理解するには、主観的な考えや一方的な情報だけに頼ってはいけない。他人の賛美から盲目的に人を崇拝し、他人の中傷のために勝手に人を唾棄する人が多い。だからこそ、本当の理解を求める真摯な精神が大切なのだ。
小説『六人の嘘つきな大学生』は、面接官は完璧ではないし、人事も完璧ではないし、世の中に絶対はない、と繰り返し訴えかけてくる。人もそうであり、国もそうである。盲目的に日本を推奨する人もいれば、悪意を持って日本を中傷する人もいて、ネット上の一方的な言葉だけに頼っている。日本は一体どんな国なのか。日本人は一体どんな人なのか?長い時間の接触があってこそ、本当にわかることなのかもしれない。
まだ日本に行ったことのない、日本人と深く交流したことのない私は、この小説を読んだときのように、先入観に振り回されていたのかもしれない。小説ならそれも面白いが、日本や日本人への理解でそれは面白くない。私は何度も日本を再認識して、よりリアルな日本を知りたい。
企業の面接で落選した人の中に、より優秀な人は必ずいるでしょう。中日交流も、今よりより優秀な可能性が必ずあるはずだ。