馬鹿の回顧録

2025-01-16 15:57:00

潘敏(四川外国語大学) 

「この人生では、一度馬鹿になってもいいよ」 

二年前の夏休み、私が日記の中でこう書いた。あの時、大学院に落ちたので浪人になっただけではなく、付き合っていた恋人も「友達のままでいましょう」という一言だけ残して立ち去った。夏の光が強く、そのせいか、温かい日差しにてらされていたのに、ある言葉で言いせぬ孤独感が心の闇から湧き出った... 

20代人生の始まりは失敗ばかりで、夢・野心に満ちながら、疲れを知らぬ若い年なのに、他人に青春の香りを少しでも感じさせない人になってしまったとは。そう考えつつ、今、窓の外を流れている夏の終わり風景が一層鮮やかになって私の目に入ると、ふっと見回りの人々に「一番馬鹿らしいおじさん」とあざ笑われても口元から笑顔が綻びられる顔を思い浮かべた。日記の扉の言葉も彼の話だ。 

二年前、人生の道から途中下車したような私は、『奇跡のリンゴ』という映画を見た。ある「馬鹿」と呼ばれる人が、11年をかけてやっと二つだけのリンゴを育てたストーリーだが、「自国ではまだそんなに粘り強い農家があるなんて」と多くの人々を感動させられた。別に何か面白い話ではないだが、何となく、荒地においてリンゴの木の佇まいを通して、自然の動きに感動せずにいられない彼の姿が心に長く響いた。この前、過酷な経験をした彼が自殺しようなのに、何で急に前向きになって生きていく勇気さえをもらったのか。その時、私はただ胸の中が沸き返るようで、一時的に何事もはっきりと考えることができなくなり、「一体どういうふうに」と首を傾げるしかないのだ。それに、目前の樹木が既に秋に備えた厳しい表情に変わっていく迫力を見せるまでに、「この人生では、一度馬鹿になってもいいよ」と彼の言葉がいつも私の中に葛藤している。 

新緑のときめきを感じさせばかりなのに、もうすぐ秋めいたかと不思議だが、心が自然とともに変化をとげていないのもやっと気づてきた。移ろいのはかなさを見せ、しぶとさをみせ、生き続ける風情の中に自然の生命力を見た。なるほど、あの時、彼が死から生へやっと一歩を踏み出せるまでに、一本光を浴びる木の力をみるのではないだろうか。 

人は誰でも若いころ、何か馬鹿みたい事をやったことがあるだろう。何か喋たら、笑われるとか、嫌われるとか、と戦々恐々としていたが、人を自然の中に置かれると、自分のちっぽけさを意識しつつ、何も恐れない勇気ももらえるようになったというのは私は勝手な解釈だが、古来から人々は気骨のある植物から熱血伝説を信じるのは事実である。 

つまり、欲しい人生、実現したい夢のため、頑固とか、バカとかと誤解さても構わなくて、それが自分を磨き、洗練させていく砥石になるからだ。 

「馬鹿」になってもいいよ、でも羞恥心を忘れない。 

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