川端康成を考える―「永生不滅」の思い―
彭俊霖(山東大学)
この前、「金谷に花に酔うし地、花春ごとに匂うて主帰らず」という菅原文時の歌を読んだ時、中国の「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」を連想して、ある特別な感じが湧いてきた。人生のはかなさを詠んだこの歌は、別の面から見ると、植物の持つ強い生命力を示したのではないか、とその時は思った。人間の寿命は限りがある。それに対して、花は一度散っても次の春になると必ず咲き誇り、生命の循環の中で果てしなく続いていく。そういうような「転生」する花は、まるで「不死不滅」のものである。
中日の文学史の中では、植物また自然を愛して憧れを抱く作家は少なくはない。だが、自然を崇拝して、特にその「不死性」を信じる作家は、おそらく川端康成しかいないと思う。彼の小説において、例えば1935年発表の『抒情歌』には、ヒロインである龍枝が、死んだ恋人が花に転生することを願うプロットがあって、さらに晩年の小説『不死』には、老人と幼馴染が一緒に古木に入って一体になったというような、やや幻想的な要素が現れた。
学者の羽鳥徹哉氏はそれを「万物一如・輪廻転生思想」と名付けて、川端の生涯を通して追求したもの、また彼の文学の「一方の極をなす」ものだと評価している。つまり「植物=不死」という公式が、川端文学のどこにでも成立する、と言ってよかろう。
『永生不滅』でも『不死』でも、さらに名文『ほろびぬ美』でも、川端康成の作品には永生不滅を祈る人間像がしばしば出ている。幼い頃両親、祖父母に相次いで死なれた川端は近所の人に「葬式の名人」とよばれ、それを契機に個人の死ということを考え始めた。ヨーロッパの汎神論を受容した彼は、早期の随筆『永生不滅』の中で自然万物に融和すれば人類の宿命の「死」から救われることを論じて、人や無生物の境界線を「曖昧にぼかすことが一番いい」と願っていた。第二次世界大戦を経て、その非人道的戦争から目をそらした彼は、だんだん本国の古典に近づき、日本の伝統、風土の研究に没頭していった。植物、自然、またそれらにつながる日本の風土は、人よりずっと長く続いていて、苦難を超える永遠の力を示している。その力に、川端は傾倒して讃美するようになった。
「人間の娘も、あの杉みたいに、真っ直ぐに育つとええかしらん」。『古都』のこの段落を初めて読んだとき、何も特別な感情はなかった。だが、「不死性」に対する理解の深化とともに、「杉」というものの背後に隠された意味が自分もだんだん分かってきた。「不死」の象徴としての植物は、人間への祝福であり、晩年の川端の「生命」への礼賛でもあった。