明珠になれなくても
羅歓(三江学院外国語学院)
裕福ではない家に育ち、子供の頃の世界は狭かった。母が料理をする音、父のため息、窓の外のニワトコの木に吹く風だけが、日常を満たしていた。しかし、本が、この狭い世界に遠い場所へ通じる窓を開けてくれた。
ページをめくる指先から、インクの香りとともに無数の世界が広がる。李白と長安の月を歩き、沈从文と湘西の川を渡り、敦煌の壁画や深海のクジラにも触れることができた。文字の中の人々や風景が、心を満たしてくれた。その中でも、中島敦の『山月記』は、心の湖に投げた小石のように波紋を広げ、今も消えない。
この作品で最も心を打たれたのは、主人公・李徴の自白である。「自分が明珠ではないことを恐れて刻苦して磨かず、また几分は自分が明珠であると信じて瓦礫たちと碌々と伍し得ない。」初めて読んだとき、心の奥に針が刺さったようだった。「自分を証明したい」のに「平凡であることを認めたくない」その矛盾に囚われているのは自分だけではなかった。宝石か分からない石を持ち、磨くのを恐れ、捨てることもできずに光を夢見る。そのもどかしさを李徴が一言で言い破ってくれた。
この言葉の重みを実感したのは、昨冬の学校スピーチコンテストである。ステージ裏で、原稿を握りしめながら、期待と緊張が入り混じる呼吸をした。十分な準備したつもりだった。しかし、いざスポットライトを浴びた瞬間、足が震え、頭が真っ白になった。入賞者の中に自分の名前はなく、観客席に並ぶ人影を見ながらはっきりと「無力感」を感じた。家路では原稿が訛りのように重く感じ、後悔だけが残った。
再び『山月記』を読み、李徴の結末を理解することができた。彼は小役人に甘んじることなく、大詩人を目指したが、「認められたい」願望で自分を縛り、詩を練ることも「詩人」のプライドを捨てることもできず、最後には孤独な虎になってしまった。人の欲望は手のひらの砂だ。強く握れば握るほどこぼれ落ちる。自分も李徴のように「明珠だ」と証明しようとする気持ちに囚われ、大切なことを見失っていた。明珠でも磨かなければ光を放てず、明珠でなくても真剣に生きることで価値が生まれるのだ。
生活には小さな光が隠れている。しかし、周りの光と比較し、自分の光が暗いと感じると足取りが遅くなることがある。
「瑠璃も硝子も照らせば光る」ということわざを読んだとき、腑に落ちた。自分は平凡でも火で焼かれハンマーで叩かれれば、鋭い剣にも丈夫な釘にもなれる。最初から光を放つわけではないが、磨くことで自分らしく輝くことができる。
改めて『山月記』を開くと、李徴の話は心を打つだけでなく、自分を理解する方法を教えてくれる。「明珠かどうか」ではなく「磨かれているかどうか」が大事だ。「平凡」を恐れず真剣に過ごし、前に進めば誰でも輝くことができる。経験を積み、毎日をしっかり過ごし、いつの日か自分だけの輝きを持つ人になりたい。