『白い巨塔』――権力の中にある医者の初心の浮き沈み

2026-01-04 09:47:00

  

莫聡麗(同済大学経済・管理学院)  

 

先日『白い巨塔』を見終えると、胸に長く重さが残った。最初は「大学病院の日常ドラマ」と浅い認識だったのだが、視聴を進めるうちに、この作品が描くのは医療現場の光と影だけでなく、権力や利益が人の心を変え、初心を守ることの難しさという普遍的な問いであることに気付かされた。 

『白い巨塔という題名の意味も次第に明確になった。当初は「白衣の医者が集う病院」と理解していたが、「白さ」が医者の救済使命の純粋さを象徴する一方で、「巨塔」の中には派閥闘争や権力による抑圧といった闇が潜んでいる。この「白と黒」の混在こそが物語の複雑さを際立たせている。 

最も印象的だったのは財前五郎と里見修二の関係だ。二人は大学時代の同級生で、かつては優れた医者になり患者を救う夢を共有したが、後に対立する道を歩むこととなる。この対立は、個人の善悪によるものではなく、「巨塔」体制下で誰もが直面する必然的な選択の結果である。 

財前は外科技術に長けており、救命の純粋な野望を抱いていた。しかし、教授の座を得るために人脈を広げ派閥を作ることを余儀なくされ、東教授の妨害や舅の財力に頼るうちに、「権力こそ医者の価値を保証する」と思い込み、初心を失っていく。佐々木さんの手術ではリスクを十分に伝えず、過失を隠そうとした。 

一方、里見は初心を貫き、患者を最優先に考えた。佐々木さんに病情を率直に伝え、死後も原因を徹底的に調べ、院長からの圧力を受けても財前の過失を隠さず、医者の正義を貫き通した。その代償として病院の人々から冷遇され、孤立する苦しみを受ける事となった。里見の孤独な闘いから、「巨塔」体制が人を虐げていることがわかる。初心を保つには、時に強大な勢力に抗う勇気が必要である。 

「巨塔」が二人を異なる道へ導いた。実際、両者はどちらも医術に長けた医者で、違いは「能力」ではなく「権力体制に対する態度」にある。財前の「初心逸脱」と里見の「初心堅持」は、体制に対するそれぞれの向き合い方を示している。同時に体制が医療の原点をいかに侵食するかを鮮明に浮かび上がらせている。 

『白い巨塔』の意義は、日本の医療制度の批判にとどまらない。現代社会に潜む構造的病理を指摘する警句である。あらゆる業界で「権力と利益」が「初心」を凌駕すれば、人間性は容易に窒息し、「巨塔ジレンマ」が必然的に生まれる。これは制度の問題であり、人間の欲望が理性を覆すという普遍的課題でもある。 

里見修二の孤独な闘いは個人的抗いではない。利益を優先するシステムの中で、医者の倫理を守り抜く姿は、「失われた初心」を取り戻す精神的道標である。「巨塔」の根幹を揺るがすのは容易ではないが、一人ひとりが職業の本質を貫けば、白衣の「白さ」は汚れを払い、権力の圧迫も徐々に緩和される。これは「倒す」のではなく「変える」静かな力だ。 

作品の最深の啓示は、社会の転換は個の「小さな堅持」から始まるということだ。無数の初心が集まれば、利益の渦中にも人間性の防波堤が築け、各業界の本来の尊厳を取り戻せるだろう。これこそが、『白い巨塔』が時代を超えて共感を呼ぶ根本的な理由である。 

 

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