『ダンジョン飯』にみる生存と生活
劉莉莉(無錫太湖学院文法学院)
物語の始まりは、主人公ライオスたちは、赤龍に飲み込まれた妹ファリンを救うため、物資なく迷宮へ再挑戦する。食料は魔物から取るほかない。こうして、魔物を食材として迷宮を攻略するという前代未聞の冒険『ダンジョン飯』が始まるのである。
この迷宮には「死亡禁止」という魔法の禁令がかけられており、肉体が修復されれば蘇生が可能だ。この設定が、時間との勝負という緊迫感を生み出すと同時に、物語の根底を流れる「生と死」の哲学的定立の土台となっている。
多くの生死を扱う異世界作品と異なり、本作の作風は一貫して軽妙でユーモアに富む。しかし、その食卓の描写の裏側で、彼らが恐ろしい速さで迷宮を攻略していく様は、冒険者としての卓越した実力とチームワークを物語っている。そして、この作品の真に非凡な点は、その世界構築の緻密さにある。作者・九井諒子は、スクイマーやマンドレイクといった数多の魔物について、その生態、調理法、食感までを生物学の教科書さながらに詳細に構築してみせる。「生きている鎧」が動く理由や「宝箱モドキ」が怪物である理由に至るまで、彼女はこの生態系で理屈が合うようと努めているが、これは珍しいメリットです。
この世界では、魔法と科学は矛盾せず共存する。不可思議な現象も、ほぼ全てが「生物」としての論理で説明される。つまり、それらも食物連鎖の中に組み込まれた「生命」であり、そこには「食べる」と「食べられる」という厳粛な関係が存在する。ここから、「食べることは、生きる者の特権である」という作品の核心的なテーマが力強く立ち上がってくる。
このテーマは、単なる生存以上の「生活」の尊さを浮き彫りにする。迷宮の主となった狂乱の魔法師は、住民に永生を与えたが、それは同時に、食事を必要とせず、時間の感覚も失った生とも死ともつかない状態への変転であった。それでも彼らがかつての生活様式——耕作や商売、社交——を続けようとするのは、それらが「生きている」ことを実感するための、かけがえのない「生活の儀礼」だからである。同様に、矮人センシのトラウマとなった過去——グリフォンが襲われる時、身を挺して彼を守り、「肉のスープを作ってやる」と言い残した先輩たちも、単なる生存の論理を超えた「子孫への配慮、食べさせる」という生命の連鎖と、生活への深い執着を物語っている。
こうした描写は、日本の食卓で交わされる「いただきます」「ごちそうさま」という、食材の命と、それを育んだ自然、そして自身が生きていることへの感謝と畏敬の文化に通じる。『ダンジョン飯』が描くのは、欲望の充足などではなく、生死の厳しさを直視しつつ、「食べる」という根源的行為を通じて「生活の儀式感を大切にするよう呼びかける哲学である。