百年後の武蔵野
張豊馳(華東師範大学日本語学科)
1898年、国木田独歩が名作『武蔵野』を発表した。125年後、遥かな異国からの一人の青年が偶然の縁で、多摩川の畔の町で十か月間を過ごした。
その青年は僕だった。正直、あの時はまだ独歩を読んだことがなかった。お金がなかったから、住所から近いところで見て回るしかなかった。でも幸い、そこは東京、もっと言えば、二十三区じゃない東京の郊外だった。繫華街の新宿、渋谷ではないが、便利な生活を楽しむ一方で、静かな日常的生活から色んな楽しみを見つけた。日本から離れて、自分の故郷に帰る後、『武蔵野』を読んだ。びっくりした。自分が足跡を残ったところは、その武蔵野ではないか。
実は、今の武蔵野の多くも賑やか町になった。独歩の標準から見ると、たぶんもう「野」とは言えないだろう。でも、文章を読んでいる時の雰囲気は、自分の体験とは完璧にあてはまるではないか、という気がする。現代武蔵野の趣はもう独歩の時代の単純な自然の美しさではないかもしれないと思う。もちろん、正真正銘の都心の繫華街に比べると、東京の郊外は自然を満喫することはやはりできる。だから、今の武蔵野は、自然と人間の調和だろう。
僕にとって武蔵野はなんだろう。では、日本での十か月間の一番印象が残ている午後について書きましょう。
それは、10月のある日だったと思う。外出の理由もう全然覚えていないが、とりあえず団地と樹木に囲まれらる分倍河原から住所に帰る途中だった。そこで中古品の店がある。店から出て、南武線の踏切を渡って、府中の住宅街をぶらぶらと歩ていた。それから、旧甲州街道を右に曲がって、まっすぐ進むと、大国魂神社に着いた。10月末の頃で、すっかり冷え込んできたが、それでも老若男女を問わずの人々が参拝している。日本の神社での作法はよく分からなかったので、僕がただついて、そっと入った。参道の真ん中部分だけが石畳で、それ以外の場所は全て大きな砂利が敷き詰められていた。大木の陰に包まれた神社の本殿へ、その砂利の上を足を取られながらも、よろよろと歩みを進めてたどり着く様は、まるで「暗い柳と明るい花」の境地のようだった。
神社を出ると、ジャズ音楽祭の会場を見つけた。プロアマ問わず多くのミュージシャンたちが府中駅の周りで演奏をしていた。デパートで買い物に疲れた人々は、建物の外へ一歩出れば、さまざまなジャズを楽しむことができる。残念ながら、神社のことを理解できなかったのと同じように、僕が音楽理論の面からしてもわからない。それでも、この冷たい秋の午後の中に漂う人々の熱気だけは、確かに感じ取ることができた。
音楽祭のパンフレットを手に、神社の入口の木陰に立ち、全身を清めるような冷たい空気をひと息吸い込んだ。確かに僕が都市にいた。でも、それも人間と調和した美しい自然の風景ではないか。