『窓際のトットちゃん』を再読して思うこと
肖爽(大連工業大学外国語学院)
今回再び『窓ぎわのトットちゃん』と出会ったきっかけは、今80歳で大好きなお爺さんの日本語の先生が、日本語リーディングの教材としてこの本をプレゼントしてくださったことだった。手にした瞬間、懐かしさと驚きがこみ上げてきた。実は小学生の頃、中国語訳で読んだ記憶が蘇り、今回は原書で読めるという喜びが湧いた。
ページをめくると、そこには変わらず愛らしく、無邪気で、なぜか周りからは「変わり者」と思われてしまう小トットちゃんの姿があった。かつて小学校を退学させられた彼女が、『トモエ学園』というユニークな学校で出会う数々の体験――電車の教室、海のものと山のものが入った「お弁当」、「散步」と称する授業、そして何よりも個性的な友人たちと小林宗作校長先生。子供の頃は、これらのエピソードをただの楽しいお話として受け止め、笑いながら読んだものだ。
しかし、二十一歳になった今、この本を読み終えて感じるのは、深い感動とともに、「教育の本質」とは何かについての重い問いかけであった。トモエ学園の小林校長は、本当に稀有な教育者だった。彼は、型にはまった画一的な教育を決して強要しない。その代わりに、子どもたち一人一人の個性を慈しみ、尊重し、のびのびと自分自身を表現することを何よりも大切にした。小トットちゃんがいくらおしゃべりでも、彼はとことん耳を傾け、「君は本当はいい子なんだよ」と繰り返し伝える。その一言が、自分に自信を失いかけていた少女の心に、どれほど温かな光を灯したことだろう。
小林校長の教育方針の根底には、子どもへの深い信頼と愛情がある。彼は知識を詰め込むことよりも、まず子どもが自分自身を肯定し、他人を思いやり、自然や生活から自ら学び取る力を育むことを重視した。電車の教室も、自由な授業の時間割も、すべては子どもたちの好奇心と自主性を刺激するための仕掛けだったのだ。それは、子どもを一人の独立した人格として認める、極めて人間味あふれる教育理念であると言える。
この本は、私にとって子どもの頃は「楽しい物語」で終わっていた。だが、大人になって読むと、そこには戦時下という暗い時代背景の中でも決して色あせない、人間の温かさと希望が描かれていることに気づく。そして、教育とは単に試験で良い点を取るためのものではなく、その子の持つ可能性の芽を見出し、じっくりと時間をかけて育み、その子らしい花を咲かせるための営みなのだということを、強く訴えかけている。
私はこの本を通して、お爺さん先生から単に日本語を学んだだけでなく、人として、将来の親として、あるいは社会を構成する一人として、どのように子どもたちと向き合うべきかという大切な問いを授かった。トモエ学園は現実にはもう存在しない。しかし、その精神はこの本の中にしっかりと息づいており、時代と国境を越えて、読む者それぞれの心に種をまき続けているのである。