遅れない愛
鄧嘉宜(広州工商学院外国語学院)
ある雨の週末、私は是枝裕和監督の映画『歩いても 歩いても』を観ていた。画面の中では、樹木希林が演じるおばあさんの丸みを帯びた背中が映っていた。一段、また一段と、階段を上っていく姿は慎重そのもので、足取りも重そうだった。台所に着くと、迷うことなく、家族の大好きな料理を作り始める。その何気ない行いに潜む深い愛の温もりを感じて、私は突然、涙が止まらなくなった。それは、私の祖母の姿と重なったからだ。
私は幼い頃から祖父母に育てられた。幼稚園に通っていた頃は、祖母が毎朝、私の髪型を丁寧に結んでくれていた。私はその髪型がとっても好きで、いつも楽しみにしていたものだ。あれから十数年の月日が流れた。
最近、祖母はよく携帯電話を置いた場所をよく忘れる。ポケットをパタパタと叩き、それから「あのねえ?ちょっと電話をかけてみてくれないかい。そしたら、どこにあるかわかるから……。」と言うのだ。この行為が繰り返される度に、「またか」と内心でため息をついた。「ばあば、自分でどこに置いたか考えてよ」と、何度も苛立ってしまった。その度、祖母は申し訳なさそうにうつむいた。
しかしある日、テレビで粽の映像が映ったのを見た私は、思わず「ばあばの作る粽、懐かしいな。あの味、もう一度食べたいな」と口にした。それは本当に何気ない一言だった。しかし、翌日、朝から台所に立つ祖母の姿が目に入った。かまどでは大きな鍋が湯気を立て、祖母のそばには、笹の葉が大量に広げてあった。「大学に行ったら、家の粽が食べられないからね。たーんと食べなさい」祖母はそう言って、ほころんだような笑顔を見せた。それを見た瞬間、それまで携帯電話のことで何度も苛立ちをぶつけてしまったことへの深い後悔が、私の胸を突き刺した。
記憶力は衰えても、私のこととなると、祖母は大変気にかけてくれていた。なのに私は、一通の電話さえも面倒がり、その変化を「煩わしさ」としか見ていなかった。そんな時、ふと『歩いても 歩いても』の「人生は、いつもちょっとだけ間に合わない。」という台詞が脳内を走った。歩みが遅くなっても、愛が遅れることはない。ようやく、それに気づいた。
是枝裕和の映画にある家族の絆は、心に沁み込む「侘び寂び」の余韻を含んでいた。そしてそれは、私の人生の道をを照らす灯りともなった。異文化理解とは、壮大な理論ではなく、日々の生活に息づく温もりへの心づかいだと知った。彼女の歩幅に合わせ、もっとゆっくり寄り添い、語る過去の話にもっと耳を傾けよう。もう二度と、愛を受け取るのに「遅れ」をとりたくはない。
祖母がくれた粽の温もりも、映画が教えてくれた「歩みを停めない」強さも、これからの私の大切な心の糧だ。これからも、歩みを停めることなく、それらを胸に、より温かい世界を目指して進んでいきたい。