平安の「をかし」と現代の私
徐寧(山東師範大学外国語学院)
『枕草子』を読む前、私は「古典文学は難しい」というイメージを持っていた。しかし実際に読んでみると、清少納言の言葉は思っていたよりも身近で、平安時代の人々の感性が今の私にも通じることに驚かされた。特に「をかし」という美意識には、日常を前向きに捉えるヒントがあると感じた。
『春はあけぼの』の一節は有名だが、改めて読むと、朝の光の移ろいを丁寧に観察する清少納言の眼差しがとても印象的だった。彼女にとって「美しい」とは、特別な景色を指すのではなく、日常の中の小さな変化を見逃さないことだったのだろう。私も普段の生活の中で、こうした「小さな美しさ」にどれだけ気づけているだろうかと考えさせられた。
平安時代の貴族たちは、衣の色、季節の花、香の匂いなど、あらゆるものに美を見出していた。それに比べると、現代の私たちは便利さや効率を優先しすぎて、感性を置き去りにしているように思う。朝の空を見上げるよりもスマートフォンの情報を気にしてしまう私は、清少納言のような心の余裕を持てていないのかもしれない。
しかし、『枕草子』を読んでから、私は少しずつ意識が変わってきた。通学の途中で見る桜のつぼみ、窓から差し込む夕日の光、友人と笑い合う何気ない時間――そうした瞬間を「をかし」と感じられるようになった。美とは特別な場にあるものではなく、自分の心の向け方次第でどこにでも見つけられるのだと思うようになった。
清少納言の「をかし」は、単なる美的感覚ではなく、前向きに生きる力にもつながっていると思う。つらいことがあっても、何か少しでも「面白い」「きれい」と思えるものに目を向ければ、心が軽くなる。私は『枕草子』を通して、そうした柔軟な感性を持つことの大切さを学んだ。
現代社会は忙しく、心を休める時間が少ない。しかし、清少納言のように日常生活を観察し、そこに「をかし」を見つけることができれば、人生はもっと豊かになるのではないだろうか。平安の人々が感じた「をかし」の心は、今の時代にも通じる普遍的な価値だと私は思う。これからも私は、日々の中にある小さな“をかし”を探しながら、感性を磨いていきたい。