千年を超える巡礼路
金一寧(華東師範大学外国語学院)
日本古代のさまざまな史料を読んでいると、そこに描かれている、遥々唐へ渡り仏法を求めていく仏僧の姿はいつも私に強い感動を与える。円仁の『入唐求法巡礼行記』はこのような史料の中で最も重要な作品の一つである。この作品は宗教巡礼の旅行記にとどまらず、国境を越えて文明をつなぐ文化的記録でもある。ページをめくると、どんな困難にも屈せず、仏法を求め続けた円仁の決意を感じられるだけでなく、彼の目に映った、栄えていた唐の風景も、生き生きと私の目に浮かぶ。
円仁は838年に遣唐使に随行して唐へ渡り、唐の各地を転々としながら求法の旅を続けた。艱難辛苦を乗り越え、840年、円仁はついに仏教の聖地――五台山にたどり着いた。五台山が目に入った瞬間、円仁はそのときの思いを次のように記していた。「向西北。望見中臺。伏地禮拜。此即文殊師利境地。五頂之圓高。不見樹木。狀如覆銅盆。遙望之會。不覺流淚。」この一節を読むたびに、円仁の感動は、時空を超えて私の胸にも強く響いてくる。五台山に流れたその涙は、仏僧の信仰の証であると同時に、真理を追い求めた人間の熱い魂の輝きでもある。
また、円仁は千年前の街のにぎわい、地方の風俗、交通や政治のありさまを細かく記録していた。例えば、唐の時代の元宵節はこのように描かれている。「夜。東西街中。人宅燃燈。與本國年盡晦夜不殊矣。寺裏燃燈供養佛。兼奠祭師影。俗人亦爾。」驚いたことに、千年前の風景は今のとほとんど変わらない。本当に不思議な気持ちになる。それから、この記録を通して、私は中国の伝統文化がどれほど長い時を経て受け継がれてきたかも実感した。円仁の記述によって、私たちはより立体的な唐の姿を見ることができると言える。他国を知ると同時に、自分自身の文化をより深く見つめ直すことができるのだ。
中日仏教交流の歴史に強い関心を持つ学生として、私はこの本に特別な感情を抱いている。円仁はただ唐の仏法を「受け取った」だけの僧侶ではない。唐で修行を通して学んだことを自ら整理し、日本へ持ち帰ることで、日本の天台宗や仏教文化の発展に大きく貢献した。言い換えれば、円仁の旅は単なる個人の修行の旅ではなく、日本仏教史の重要な一環でもある。今日のいわゆる「漢字文化圏」は、円仁のような高い志を持ち、困難を恐れず国境を越えて真理を求めた人たちが、少しずつ築いてきたものなんだと思う。
今の世界に生きている私たちは、円仁のように知識を得るために「命を顧みない」ような冒険をする必要はなくなった。しかし、「知識」や「信念」の大切さを改めて認識すべきである。円仁の巡礼は、「知識を求めること」とはただ本を読むことではなく、理想のために行動し、努力を重ねることだと教えてくれた。これも私にとって、『入唐求法巡礼行記』を読んで得られた収穫である。
半月前、私も千年前の円仁のように、巡礼の心を抱いて日本に到着し、留学の旅を始めた。今回の巡礼では、どんな出会いが待っているのだろうか、私はとても楽しみにしている。