『光る君へ』に光る女性たち

2026-01-04 16:02:00

  

徐思琪(復旦大学外国語言文学学院)  

 

先学期、古典文学の授業で『源氏物語』にふれ、先生の勧めで大河ドラマ『光る君へ』を見た。 

『源氏物語』の作者・紫式部の生涯を中心に、平安の世を鮮やかに描いた作品である。そこに、平安中期の摂関政治や紫式部と藤原道長の恋模様が織り込まれているが、とりわけ心を動かされたのは、千年前の女性作家たちの姿、そして彼女たちが筆をとる行為に託した意味であった。 

平安時代、女性には自立した社会的地位は認められず、たとい貴族に生まれ、教養を備えていても、男性の庇護下で生きざるを得なかった。しかし、才気にあふれた女性作家たちは、その制約を受けながらも、書くことで自らの生命を輝かせ、互いに触発し合いながら不朽の名作を世に送り出した。 

ドラマの主人公である真尋(紫式部の若き日の名として脚本家が与えたもの)は、身分差ゆえに成就しない恋に苦しみながらも、自らの生の意味を模索していく。そんな彼女がある日寺院で藤原道綱母と出会う。平安女性日記文学の草分けとされる『蜻蛉日記』作者の道綱母は、側室としての二十年に及ぶ結婚生活を綴りながら、苦しい日々の中にささやかな心の安らぎを見出したのだと語る。その言葉は、真尋の胸に「書くことによって悲しみを癒やす」という種をまいた。 

この種はやがて、清少納言や和泉式部へと受け継がれていく。定子皇后を慕った清少納言は、失意の中でも宮廷生活の四季や草木の移ろいを筆にとどめ、『枕草子』という随筆文学の先駆けを残した。情熱的な和泉式部は、恋人との日々を『和泉式部日記』に記し、恋人と死別した悲哀を言葉に託すことで心を癒やした。そして紫式部は、『源氏物語』という壮大な長編を紡ぎ出し、日本の「もののあはれ」美学をいっそう深めていったのである。そして、彼女たちの営みは孤立せず、互いに響き合うことで仮名文学の盛りを見せ、女流文学の黄金期を生み出したのである。 

最終回で登場する菅原孝標女は、熱心な読者の視点から、『源氏物語』は「女性が自分の姿を映す鏡」と語る。この視点を通して私は、『源氏物語』が千年にわたり女性に読まれ続けてきた理由を、ようやく腑に落ちた思いで受けとめた。 

『光る君へ』に深く感動を覚えたのは、作品が一人の紫式部ではなく、時代を超えて群像として光る女性作家たちを描いたところである。紙が貴重だった平安の世にあって、名も残らぬ多くの女性が筆をとることにより、生きる悲しみを癒やし、虚無に抗い続けたのだ。それらの姿に、現代を生きる私の「書くこと」もまた小さな光であっていいのだと勇気づけられる。 

私は、和歌でも物語でもなく、平凡な言葉で日々の生活をつづっている。だが、その営みは、平安の女性たちが和紙に心を刻んだことと同じであると思った。彼女たちの光は千年を超えて、私の言葉の中にも、静かに息づいていると感じる。 

 

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