天津の朝食に垣間見る、文化の昔ながらの味ーーコウリャン粥と杏仁茶

2018-08-21 10:36:09

 

 「朝食」は一つの都市の味覚の記憶であり、起きぬけの一口はことのほか重要である。小さな店を探して、並んでお金を払い、食券を受け取り、料理を受け取る。腰を下ろすとさじがお碗に当たる音、口からはむしゃむしゃという咀嚼音がし、知り合いを見つけると頭を挙げ挨拶をして席を移る。これが天津の早朝の日常で、漫然と、淡々としている。

天津の朝食は、基本的に一カ月間ずっと違うものを食べ続けることができる。みんながよく知っている老豆腐(餡かけ豆腐、豆腐脳ともいう)、豆乳、餜子(油条、つまり揚げパンのこと)、茶卵(茶と醤油や香料などで煮た卵)のほかに、天津の昔ながらの朝食には極めて特色あるご馳走がある。すべて味わい深く、昔ながらの味が残されている。

 

コウリャン粥と杏仁茶

 

多くの朝食屋台には前面に熱した油が入っている大きな鍋が置いてあるが、それは餜子(油条)や巻圏(揚げ春巻き)を揚げるためではなく、炸(揚げ菓子)を作るためのもので、実をいえば古くからの天津人は朝食に油っぽいものを食べる習慣はなく、多くの人が気分をさっぱりさせるために、あっさりとした食べ物を好む。民俗学者で食文化研究者の由国慶によると、清代の天津には豆腐屋や揚げ物屋などの屋台は少なく、こうした朝食は辛亥革命前後から始まったという。生粋の天津っ子は朝食にアツアツの甘いコウリャン粥、蒸餅(蒸したパン)、焼餅(焼いたパン)などを好む。

伝統的なコウリャンご飯は、白いコウリャンの実と少量のもち米を弱火に煮て粥にしたものだ。粥にはさらに白砂糖と砂糖漬けのモクセイの花を入れ、口当たりはなめらかで粘り気があり、甘さの中にモクセイのおいしさが感じられる。かつてのコウリャンご飯は今日の豆乳のように一般的なもので、町中どこでも呼び売りの声を聞くことができたが、コウリャンご飯で有名な老舗といえばやはり万順成を挙げなければならないだろう。1920年代初め、万順成は天津南部の東興大街に開業し、コウリャンご飯のほか、店で売っている八宝蓮子粥も極めておいしかった。蓮子粥は江米(細長いもち米)とハスの実を主材料とし、さらにクルミ、青梅、トウガンの砂糖漬け、干しブドウ、百合根などを入れたもので、粥の中でも極めつけの逸品といえ、広い人気を誇っていた。かつて遼寧路と長春道の交わるところにあった京津軽食店の前身が万順成の分店であった。かつて杏仁茶もまた天津でとても人気のある軽食の一つで、これは新米粉と甘い杏仁粉を煮た食べ物である。製法に関して言えば、先に米粉を煮てから杏仁粉を加えるというものと、両方の粉を同時に煮るというものと二つがある。そのほか、米粉として米を使うものと、もち米を使うものとがある。

軽食店以外にも、杏仁茶の振売もふつう早朝から街に繰り出す。てんびん棒の片側にあるコンロの上に深鍋を置き、弱火で杏仁茶を煮る。鍋の蓋の半分は跳ね上げることができ、半分には木の皿などの食器を置いている。天津人はしばしば杏仁茶を朝食にし、売り子の呼び声を聞くと、家から出て来る或いは家に買って帰る。上等な杏仁茶にはモクセイの花の砂糖漬けを加えるものもあり、売り子は「モクセイの香りのする杏仁茶だよー」と売り歩く。 (毎日新報記者王晨輝=文 L=編集)

 

 

関連文章