多文化共生の理想を追求
義烏の街を歩くと、肌の色や言葉が異なる人々の姿をよく見掛ける。義烏国際商業貿易城では、多言語の値段交渉の声が絶えず、異国風情街ではトルコのケバブ、イタリアのピザ、フランスのパンなどの香りが漂い、鶏鳴山コミュニティーの広場では、外国人住民が地元の中年女性たちと一緒に広場ダンスを楽しんでいる。常住人口が100万人を超えるこの都市には、160以上の国・地域から約2万人の外国人業者が集まっている。ここで事業を行い生活する彼らは義烏を「第二の故郷」として根を下ろしている。
異国でも故郷
ベトナム出身のグエン・ホン・ニューさんは、義烏で10年間暮らしている。流ちょうな中国語を話せる彼女は地元市場で有名な貿易会社の経営者であると同時に、中国人の夫を持つ「中国のお嫁さん」でもある。
義烏に来た当初、グエンさんはバイヤーの通訳を務めながら、市場の仕組みを少しずつ学んだ。「通訳を頼まれる機会がどんどん増えました。それはつまり、ベトナム市場に大きな可能性があるということです」とビジネスチャンスをかぎつけた彼女は、自分で貿易会社を設立することにした。義烏の豊富な商品供給、効率的な物流、整ったビジネス環境を生かし、グエンさんの事業は順調に成長し、香水からおもちゃ、アクセサリー、日用品・雑貨など多岐にわたる品目を取り扱っていった。現在、彼女の会社は毎月ベトナムに10個のコンテナを輸出するだけでなく、中国と欧州を結ぶ国際定期貨物列車「中欧班列」を通じてオーストラリア、チェコなどにも販路を広げている。

事業が順調に成長する一方で、家庭生活も幸せに満ちている。彼女は義烏で夫の晏廷躍さんと出会い、2人の子どもにも恵まれた。「義烏では仕事にやりがいがあり、暮らしにも温かさがあります。私にとって、ここはもう本当の家なんです」と彼女はほほ笑みながら語った。
ヨルダン出身のムハンナドさんの物語は、習近平国家主席の講演で取り上げられたことがある。習主席は中国・アラブ諸国協力フォーラムの第6回閣僚級会議の開会式で彼のことをこう紹介した。「アラブ事業者が多く集まる義烏市には、ムハンナドというヨルダンの事業者がいます。彼は本格的なアラブ料理レストランを開き、アラブの食文化を義烏にもたらしました。そして義烏の繁栄とともに成功を収め、中国に根を下ろしました」
2002年、ムハンナドさんは24歳のときに義烏に来た。当時、義烏国際商業貿易城が急速に発展し、多くのアラブ人バイヤーが仕入れに来ていたが、本格的なアラブ料理店は一軒もなかった。このニーズに目をつけたムハンナドさんは、叔父と一緒に義烏初の外国人が経営するアラブ料理店「MAEEDA」を開き、市場の空白を埋めた。義烏での生活が長くなるにつれ、彼はこの街の懐の深さと温かさを実感し、こここそが心を落ち着けられる場所だと感じた。その後、彼は店名を「BEYTI」(アラビア語で「私の家」)に変更した。「なぜなら、私にとって義烏はまさに『私の家』ですから」
今では約2000平方㍍の広さを誇るBEYTIは、400種類以上の料理を提供している。ここはアラブ事業者たちの集まり場であるだけでなく、中国とアラブ諸国の文化交流の窓口にもなっている。ムハンナドさんは店内に中国が提唱する国際協力構想「一帯一路」を紹介する展示壁も設け、「ウインウイン」のストーリーをより多くの人に知ってもらいたいと考えている。「ここに来る全ての人に、家のような温かさを感じていただきたい。そして義烏で新しいチャンスを見つけてほしいのです」と彼は期待を語る。
多文化の融合と共生
各国の人々は多様な文化ももたらした。義烏は開かれた姿勢でこれらの文化を受け入れ融合させ、異なる文明がここで交流し、互いに学び合い、「美美与共」(自身の美しさと他者の美しさを組み合わせることで、理想的な大同の美が実現するということ)の光景を生み出している。
毎年の春節(旧正月)は、義烏が最もにぎやかで、中国と海外の文化の融合が最も生き生きしている時期だ。義烏で年越しをする外国人たちは、地元の人々と一緒に春聯(春節に家の玄関などに貼る縁起の良い対句が書かれた赤い紙)を書いたり、「福」の字を貼ったり、ギョーザを包んだり、伝統劇を楽しんだりして、中国の濃厚なお正月気分を味わう。
義烏で29年間暮らしているイエメン出身のアマルさんは義烏市曲芸家協会のメンバーでもある。毎年春節になるとアマルさんは舞台に立ち、流ちょうな中国語で「貫口(中国の伝統話芸で、早口で長い文章を語るパフォーマンス)」を披露し、新年の祝福を伝える。彼の3人の子どもはみな義烏で生まれ育ち、火鍋や米粉が大好きで、義烏方言も流ちょうに話す。「義烏は懐の深い街です。ここでは自分たちの文化を守りながら、中国文化にも深く触れることができます。この融合の感覚はとても素晴らしいと思います」とアマルさんは語る。

義烏市の賓王商業エリアにある「異国風情街」は、各国文化がうまく融合する代表的な場所だと言える。トルコ、イタリア、日本、韓国など十数カ国の料理店が400軒以上あり、看板には中英両語が記され、多くの店員は多言語接客ができる。夕暮れになると、通りは人でにぎわい、異なる国籍の人々がここで故郷の味を楽しみながら義烏の活気ある日常を感じている。
さまざまな文化交流イベントも義烏の日常に溶け込んでいる。異国情緒あふれる国際マーケットでは各国のオーナーが自国の手工芸品や民族衣装を紹介し、文芸公演では各国の優れた伝統パフォーマンスが同じ舞台で輝き、無形文化遺産の体験イベントでは各国の人々が継承者から赤砂糖作りや「百子灯」(商売繁盛・子孫繁栄を願う提灯)の技術を学び、中国文化の魅力に触れる。義烏はさらに、国際文化交流センターを設置し、各国の人々に自国の文化を発信・共有できるプラットフォームを提供することで、異なる文明が対話を通じて理解を深め、交流の中で共通認識を形成していくことを促進している。
安心して暮らせる街を
都市の包容力は異なる文化の受け入れだけでなく、行き届いた生活面の配慮にも表れる。義烏は外国人住民の実際のニーズに応え、生活上の障壁を取り除くためさまざまな取り組みを続けている。鶏鳴山コミュニティーはその代表例だ。
鶏鳴山コミュニティーには、70を超える国・地域から1000人以上の外国人が暮らしており、「国連コミュニティー」とも呼ばれている。異なる生活習慣や文化がここで調和して共生している。
外国人住民にとって、現地に溶け込むための最初の壁は言語だ。そこで鶏鳴山コミュニティーでは14年から「家の近くの孔子学院」と呼ばれる無料中国語講座を開設し、これまで延べ12万人以上の外国人住民が受講した。イエメン出身のウー・アオシャンさんは、20年に義烏に来た当初、中国語がほとんど話せなかった。彼は中国語講座に参加し、「こんにちは」「ありがとう」といった基本的な言葉から学び始め、「これはいくらですか」「このサイズは合っていますか」といった商売でよく使う表現を少しずつ身に付けていった。言葉が通じるようになると、商売も順調になった。「今では中国語で仕入れ先や市場の動向について話せるようになり、リピーターも増えました」とウーさんは言う。
異なる文化の人々が一緒に暮らしていれば、摩擦が生じることは避けられない。鶏鳴山コミュニティーが考えた解決策の一つは、外国人住民に「老娘舅(江蘇省や浙江省の方言で、熱心な調停役の人を指す)」を担ってもらうことだ。ネパール出身のラジ・クマールさんは「国際老娘舅」の一人で、文化的習慣の違いから生じた近隣トラブルを調停した経験がある。あるアフリカ出身の住民が夜に家族や友人と交流する習慣を持っており、生活リズムが近所の地元住民と異なるため、誤解や溝が生まれたことがあった。状況を把握したラジさんは両方の家を訪れ、中国語と英語で互いの生活習慣や文化の違いについて丁寧に説明し理解を促した。調停した結果、双方はお互いに配慮し合うことで合意し、トラブルも円満に解決した。「異なる国の人たちが一緒に暮らすには、相手の立場に立って考えることが何より大切だと思います。外国人住民が調停に関わることで、心の距離がより早く縮まり、誤解も解けやすくなります。皆さんが安心して率直に話し合えるようになるのです」とラジさんは語る。
鶏鳴山コミュニティーは、義烏の外国人住民対応ローカル・ガバナンスの縮図だ。義烏は現在、すでに在住外国人向けに全方位的で人に寄り添った保障システムを構築している。市政府は国際商事法律サービスセンターや外国人サービスセンターを設置し、ビザ申請、会社登記、紛争調停、医療・教育などのサービスをワンストップで提供している。スーパーや病院、銀行などの公共施設には、多言語表示や外国語対応スタッフが配置されている。学校には国際学級が設けられ、外国人子女の教育問題も解決されている。24年5月には、浙江省初の外国人向け総合サービスアプリ「義境」が正式に稼働を開始。このアプリには126のサービス項目が統合され、「衣・食・住・行・商」のあらゆるケースをカバーしている。
国境を超えたぬくもり
多文化が共存する義烏には、文化の融合だけでなく、国境を超えた善意と温もりもあふれている。
義烏で商売を営む沈梅さんは、長年イランのバイヤーとビジネスを続けてきた。相手が戦乱のため商品の代金を期限どおりに支払うことができなくなった際、沈さんは催促することなく、相手の事情を理解し、待つことを選んだ。「商売ってみんな大変ですからね。戦乱の中では、お金より無事でいることの方がずっと大事だと思います」。沈さんの思いやりにイランのバイヤーは心を打たれ、情勢が安定し次第、代金を支払い、取引もさらに深めたいと約束した。この国境を超えた理解と共感も、義烏の包容力を物語っている。
義烏で暮らしている多くの外国人も、自分なりのやり方でこの温かさに応えている。パキスタン出身のアリ・ハサンさんは、長年ボランティア活動に携わり、地域の案内をしたり、各種手続きのサポートをしたり、生活やビジネスに関する疑問に答えたりするなど、義烏に来たばかりの外国人が生活に慣れるよう手助けしている。「私も来たばかりの頃は皆さんからたくさん助けられました。今度は私が助ける番です」と語る。ウクライナ出身のアイニさんは、コミュニティーで中国の子どもたちに無料で英語を教え、言葉の懸け橋を築いている。「義烏は温かみのある都市です。この都市のために何かしたいです」
商売の現場から日常生活まで、文化の融合から互いの支え合いまで、異なる国の人々がこの土地で互いに尊重し、助け合い、共に発展している。義烏は実際の行動で、各国の人々が安心して根を下ろせる環境を築いている。そして異なる文明が日常の交流の中でゆっくりと溶け合い、共生する未来も築いている。
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