中国語で古琴に親しむ人を琴人といい、特に優れた人を琴家と呼ぶ。「広陵琴韻(七)林友仁」「雪夜聞鐘」などのCDがある林友仁先生(1938~2013年)は著名な琴家で、上海音楽学院音楽研究所で研究と教育に従事し1998年に退職された後も、独自の足跡を残された。
林先生のご逝去を知ったのは、久しぶりに呉先生と電話で話した時だ。以来たまに中国を訪れ、ふと先生にもう会えないと思うと寂しい。上海の街角、学校から先生のお住まいまでの道で、そこから常熟路の地下鉄の駅までの道、あるいは北京の街角で、つい先生の面影を追ってしまう。温かくユーモアのあるお人柄を慕って親交のあった方は同じ想いではないだろうか?また近ごろ、先生にお会いしたくても間に合わなかった方もいると知った。私の場合は全て短期滞在の時の出来事ではあるが、薄れていく記憶を書きとめ、皆さんと共に先生を偲ぶ呼び水になればと思う。
2010年、北京大学の百年大講堂で琴を演奏する林友仁氏
縁起
林先生がこの世を去ってから、先生に対する想いは次第に深まっていく。古琴に触れる時にはもちろん、他の事でも何かにつけお顔を思い浮かべ「先生はどう思われますか?」「今日はこんな事がありました」と心の中で問いかけたり、話しかけたりする日々である。中国式の上着をお召しでくつろぐ、普段のお姿が目に浮かぶ。
私は前世紀末に古琴に出会った。初めは上海音楽学院の別の先生について学び、林先生を初めてお訪ねしたのは留学を終える時期だ。帰国後は働いて旅費を貯め、時おり元の先生に習いに上海に短期滞在した。林先生とゆっくりお会いする機会を持てたのはその頃である。きっかけは忘れたが、私がCDを通して先生の演奏を好きになり、お話を伺いに行ったのが始まりかもしれない。
先生はいつも自然体で飾り気がなく、暮らしを愛し、お酒とたばこがお好きだ。私たちは古琴に限らず話しをした。例えば、先生は好きなテレビ番組からどのように発想を得られるか、先生の教育観など。時には私の仕事や学びについて、相談にものってくださった。何度か他の方との外出にも加えていただき、それらの時間は全て私にとり貴重な経験となっている。
日常の中で
林先生との思い出は、常に身近な美味しいものとセットでもある。ただ私はお酒があまり飲めないので、内容が少し単調かもしれないが。ある年の暑い盛り、学内のレストランで昼食をご一緒した。ひどく疲れて暑気あたりかもしれないと私が言うと、林先生に里芋の料理を勧められた。淡泊な塩味の炒め物で美味しく、里芋は中国医学の考え方では補気の食品であると後に知った。また別の時、所用でご自宅に寄った帰り際に土鍋からスープの良い香りがするのに気づいた。先生から鶏スープには干し筍を少し入れると良いと教わり、スーパーで「天目笋干」を購入して帰国した。
ある年の冬の寒い夕方、先生と何人かで羊のしゃぶしゃぶを食べに茂名路辺りの小さいレストランへ出かけた。そこで初めて見た薄朱色のタレは、北方のゴマダレとはまた別の優しい美味しさ。先生に聞くと「ここの自家製ピーナッツペーストと紅腐乳を混ぜたもの」とのこと。意外だったのが先生はもち米が苦手で、消化不良になるそうだ。これも今でも忘れていません。
その頃、先生は日々淡々と自適に過ごされているとお見受けした。何かのきっかけで、ご自宅で以前飼っていた亀の話になった事がある。ある日その亀がいなくなって探してはみたものの、結局それも良いと先生は思ったそうだ。縁に随うということなのだろうか。諦めとはまた違う心境に思えた。
またある時、ご自宅のベランダに並んだ鉢植えが青々としているので綺麗ですねと褒めると、「植物の状態はその家の人の反映」と言われた。
先生と弟子
中国での師弟関係の話になった時に、「例えば画家も以前は先生の家に弟子が住んで、来客にどう応対するか、どんな話をするか等を近くで経験させる。絵以外の事も学ぶんだ」と林先生は話された。後に、日本でも内弟子や行弟という類似の習慣があると知ったが、師弟双方にとって正に「歩歩是道場」という言葉の通りの関わり方なのだろう。
CD「雪夜聞鐘」の解説によると、先生は1956年に夏一峰氏に古琴を習い始め、続いて1957年に広陵派の劉少椿氏(1901~1971年)に学んだ後、1958年に上海音楽学院に進まれた。そこで劉景韶、顧梅羹、沈草農、衛仲楽の各氏にも学ばれた。
私は劉少椿氏のCDにある「樵歌」という曲に魅かれている。だからお二人がどんな師弟だったのかとても知りたいが、林先生に伺えなかったのが非常に残念である。
2019年に中国芸術研究院所蔵の名琴による古琴演奏会が北京で行われた。そのとき林晨女史(林先生のご息女)が「真趣」という名琴を演奏する前に話された、その楽器の由来を録画で知って私は胸を打たれた。「真趣」は林先生の最初の古琴の師である夏一峰氏の旧蔵で、この楽器に会うと彼女はお父さんと、お父さんから聞いた夏先生のエピソードを思い出すという。「人と古琴をめぐる共通の記憶」。時空を越え、このような師承の縁もあるのだ。
上海音楽学院で日本人留学生の飛田立史さんを指導する林友仁氏
林先生の古琴音楽
始めに私が学んだのは広陵派の伝承だったので、CDで雨果の「広陵琴韻」シリーズをよく聴いていた。時と共に好きな曲は変わっていくが、その中でも劉少椿氏の「樵歌」、そして林先生の「普庵咒」と「樵歌」は特別だ。
ある時、林先生の弾く「普庵咒」がとても好きですと話した。すると先生は遠くを見る表情になり「普庵咒、ああ、あの境地」と言って軽く嘆息をつくと、黙ってしまわれた。その「普庵咒」演奏をめぐる不思議な体験については、先生の文章「芸境 可遇而不可求」(『音楽愛好者』1995年2期)で触れられている。
林先生の「樵歌」は劉少椿氏の継承のようだ。難解だが印象的な曲で、いつか先生に学びたいと思っていたがそれは叶わなくなってしまった。
またある時、数人の日帰り旅行に加えていただき、揚州での用事の次に鎮江の劉善教氏(林先生が師事した劉景韶氏のご子息で、夢渓琴社社長)を訪ねにご自宅へ同行した。ひとしききり話が終わると、劉氏は奥から数張の老琴を順に出して来られ、それを林先生が試奏するのを一同見守った。最後に林先生は独特な響きの古琴で恍惚と「流水」を弾かれ、「堪能したよ」と満足気であった。今でも覚えているのは、部屋が豊かな響きに満ち先生の周りにオーラが見えるようで、場に一体感があったこと。寛いだ場で身近に良い演奏を聴くのは本当に素晴らしく、その日は余韻に包まれて足取りも軽く夜遅く上海についた。
古琴芸術に対する林先生のお考えで思い出すのは、例えば「流水」の解釈は「単に描写ではなく、人の一生としても捉えられるね」と話されたこと。また、ある琴人の演奏が良かったので「私もあの演奏スタイルを学びたいです」と言うと、「他人の演奏スタイルは学べるものじゃないよ。自分の演奏ができるといい」と助言を受けた。前述の「芸境 可遇而不可求」や先輩の琴人から聞いた「留学生達の古琴の期末試験を雅集に変更した」逸話なども合わせると、先生は伝統的な文脈とその人らしい自然な演奏を大切になさっていた。
松鐘功
林先生に古琴の授業を受けたのは一度きり、それでも自分では弟子のつもりでいる。当時の悩みは右手指法の「撮」を弾く時にどうしても緊張してしまう事で、根本的な課題だと感じていた。先生にご相談すると良い方法があるそうで、教わることになったのだ。
ご自宅に伺うと、道側の窓に面して琴卓が置かれている。確かこの時『谿山琴況』「和」の一節を引き弦、指、音、意が合う関係を紙に書いて話された。先生は私が理解するまで待ってから「意が先にある、これが大事」と、頭でイメージする身振りを交えて強調された。次に座っている身体、例えば足裏と頭部をどう意識すればよいかの説明の後、先生が横に立って指導が始まった。
「まず腕はおろして脱力。それからゆっくり弦に乗せ、鐘の音をイメージして、準備ができたら小撮」「何弦間隔の小撮ですか?」「弾きやすい間隔で順に弾いて(生徒にあわせて臨機応変なのだろう)」「毎回自分の出す音が消えるまで聴いてから、次に」。始めは緊張してうまくいかない。「どうすればよいか、分かりません」と言うと、ゆったりと深い音でお手本を弾いてくださった。その響きに近づけようと焦ると「うまく弾けなくても自分の音に責任を持つつもりで、余韻の最後まで聴くように」。
最後に腕をおろす。全ての過程がゆっくりで、かつ脱力を求められた。これを最初からひたすら繰り返し、夏の暑い時期なので汗ばんでくる。時間はかかるが続けていくうちに指先、腕の順に緊張が解け、音の伝わり方が変わり始めた。心も漸く落ち着いて「これは何という練習ですか?」と聞くと、先生ご考案の「松鐘功」とのこと。
撮は二音を同時に均一な音量で弾くのが理想だが、今でも音が前後したり、音量が少し揃わない時がある。間違いと思うと弾き直したくなるが、「松鐘功」はうまくいってもいかなくても受け入れるのが大きな特徴で、心身両面に作用すると言えそうだ。
崑曲
中国へ行く前に張継青さん演じる「 爛柯山・痴夢(朱買臣休妻)」の公演録画を見たことがあり、崑曲の事は少し知っていた。ある年、上海に林先生をお訪ねすると、学校で何かの公演の券を配るというのでついでにご一緒する事にした。公演業務の担当者から券を受け取り、確かその足でどこか外の会場へ向かった。その公演の全体像はすっかり忘れたが、一つだけ覚えているのは、演目の一つが崑曲だった事だ。舞台には机一つ椅子一脚があり、その周りで美しい女性主人公がゆっくりと悶える様な動きで連綿と歌う。後姿になると、動きにつれ長い髪が揺れて衣装に映える。今から思うと「牡丹亭・驚夢」の一部で、杜麗娘の歌う「山坡羊」だった。歌詞は分からないものの、澄んで滑らかな唱い方に思わず「好聴」と言うと、隣に座る先生が確か「彼女は中学の英語の先生で、崑曲の愛好家だよ。これだけできるのは大したものだ」と小さな声で教えてくれた。別の時に、古琴の弟子に上海崑劇院に勤める若い人もいると聞いた覚えがある。
後に二度目の留学の時は音楽学の専攻だったが、選択科目で崑曲の清唱を学ぶ機会に恵まれた。先生にその事をお知らせしたら、名前を挙げながら香港の琴人も崑曲が大好きだよと微笑まれた。香港で撮影された記録映画「海角琴心」(2010年)ではその一端が窺える。
このように思い返してみると、林先生をお訪ねして過ごしたのは常に受け入れられ、心が豊かになる時間だった。当時はこんなに早くお別れが来るとは考えてもおらず、先生との記念写真は一枚も無い。代わりに雨果のCD付録に書いてくださったサインの筆跡を見ては、思いを巡らせている。(文・写真提供=亮子)
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亮子 |
中国留学で古琴の演奏と理論を学ぶ。広陵派、虞山呉派の演奏を中心に継承。2009年から東京で深秋に小規模な琴会を主催。「古琴の会 雲岫」で琴楽の魅力を伝えている。 |
人民中国インターネット版 2020年7月10日
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