美しい中国・雲南省貢山トーロン(独龍)族ヌー(怒)族自治県独龍江郷

2020-07-30 10:25:19

高黎貢山の難路を越え 神秘の独龍江郷に憩う

呉文欽=文 

怒江リス族自治州党委員会宣伝部=写真提供

 雲南省の西部にある貢山トーロン(独龍)族ヌー(怒)族自治県独龍江郷は、同省を南北に貫く「横断山脈」の峡谷にたたずむ。そこに暮らすのは、中国でも人口の少ない少数民族の一つ――トーロン族だ。当地への交通手段は乏しく、長い間トーロン族は外界と隔絶されていた。トーロン族は現代的な便利な暮らしを享受できなかったが、民族独特の伝統と風習にこだわることで、現世の桃源郷のような生活を送ることができた。また、恵まれた独特の素晴らしい自然環境により、独龍江郷は「雲南最後の秘境」の美称を得た。今月号の本欄では、峻険な山々や峡谷を巡って独龍川河畔の秘境を探訪する。

 

「秘境」へ連なる高黎貢山

 車は怒江リス(傈僳)族自治州貢山県の中心部を出発、北西に約80㌔走る。目的地は「雲南最後の秘境」と呼ばれる独龍江郷だ。

 貢山県政府は2017年9月、独龍川観光地区全体の観光客の受け入れ能力アップのため、同地区の対外開放を当分停止すると発表した。同時に、観光地の各施設についてもレベルアップ・改修を決めた。この観光地は昨年10月1日から12月31日まで、2年ぶりに再び対外的に開放された。しかし現地政府は実名による予約制を実施し、1日に観光客500人の上限を設定した。

 「希望する観光客がこんなに多いのに、予約だなんて。いったいいつになったら順番が回ってくるのか。本当に『心は向かえど至れず』だな」。旅行好きな中国のネットユーザーたちは、こう冗談を飛ばした。

 車から外を見ると、木々は高く伸びて天を突き、谷川はしぶきを上げて流れを速める。断崖に沿って整備された幹線道路は、狭いところはわずか幅2㍍ほど。こうした道路を、何台もの大型観光バスが独龍江郷を目指すのは困難を極める。

 約80㌔の曲がりくねった山道を3時間ほどかけて通り抜ける。途中の高黎貢山国家自然保護区では、一足早く「秘境」の魅力を味わうことができた。

 

手つかずの自然と風景

 はるか遠くへと連なる高黎貢山は南北400㌔余り、面積は40万㌶に及び、雲南省最大の森林・野生動物自然保護区で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)から「世界生物圏保護区」に認定されている。現地の林業従事者によると、長年にわたり交通が不便でめったに人が訪れなかったことで、高黎貢山は豊かな生物の種を育み保存してきたという。

 同地域には、判明しているだけで4303種の植物があり、このうち1000種余りが高等植物のほか、100種余りの薬用植物、80種余りの花き(観賞)植物や、タブノキ、紫檀、中国イチイ、シナトガサワラなどの希少種や貴重な樹木がある。また192種類の哺乳動物と、鳥類は269種類に上っている。さらに高黎貢山の人跡未踏の奥地には、今でも多くの未知の種が生息している。

 豊かで多様な動植物と横断山脈の独特の地質・地形が、高黎貢山の奇勝・秀麗な自然の景色を作り上げた。中でも色とりどりの木々が密生する「彩林」や飛瀑、雲海、雪山は、とりわけ現地の人々が誇りとするものだ。

 高黎貢山を越え独龍川に向かう幹線道の道端には、植物の群落が続く。モミやクモスギなどの常緑針葉樹、カエデ、ハグマノキなどの紅葉する樹木、ダフリア赤松、ハンカチノキなどの黄葉が美しい樹木――木々の三つの色彩と、樹木の間から見える満開の花々が織り成す色彩豊かな「彩林」が目の前に広がっていた。

 

高黎貢山の「彩林」の景観

 視線の先では、山頂から幾筋もの渓流がしぶきを上げて真下へ流れ落ちていく。木々と岩石にぶつかり幾筋にも分かれた流れは、激しく泡立ち真っ白な飛瀑となり、谷底へ落下していく……。

 中国の道教の哲学はとくに「水」を重んじる。『老子』は言う。「上善若水。水善利万物而不争,処衆人之所悪,故幾於道」(最上の善とは水のようなものだ。水は万物に恵みをもたらし、他と争うこともなく、誰もが嫌う低い所にとどまる。だから「道」に近いのだ)。雑踏から遠く離れた山中に身を置き、サラサラと流れる水の音を聞けば、「水」に込められた「争わない」という哲学が自然と胸に染み入り、俗世の煩わしい悩みも忘れさせてくれる。

 高黎貢山は雨と霧が多い。雨が上がり晴れると、山並みの間から果てしなく雄大な雲海が湧き上がってくる。風が吹くと、深山幽谷から幾層もの雲が逆巻きながら上昇し、刻々とその姿を変える。風がないとき、白雲が山並みとぴったり重なり、峰々にかかるのはいったい白い雪なのか分厚い雲なのか、一瞬分からなくなる。

 

高黎貢山のボウシラングール(尾長猿の一種)

 中国の伝統では、世を捨て山紫水明の田舎で「隠者」として暮らすことは、文人墨客の憧れである。東晋(317〜420年)の詩人・陶淵明の詩にある「采菊東籬下,悠然見南山」(住まいの東の垣根にある菊の花を摘み、ゆったりとした気持ちで南の山を眺める)は、その「隠者」の暮らしの風情を良く表している。しかし、高黎貢山からちょろちょろと流れ出る水と雄大な雲海は、唐代の詩人・王維が書いたもう一つの「隠者」の境地――「行到水窮処,坐看雲起時」(水が湧き出す源流まで行き、座って雲が立ち上る様子を眺める)を表している。

 高黎貢山は平均標高が約3500㍍、山頂は万年雪に覆われ、峡谷や雪山が美しい景観を形作っている。早朝、朝日が東から上り雪山を照らすと、上から下へゆっくり色が変化していく――淡いピンクからオレンジ、黄みがかった赤色へと山並みをあまねく照らし、山頂が金色に輝く瞬間、「日照金山」という有名な景観が生まれる。だが、山が華やかに光り輝く景色はわずか数分だけ。太陽が昇った後、「金山」はまた雪山へと姿を変える。

 

20年費やし結んだ山間道路

 車はさらに前へと進み、高黎貢山独龍江トンネルに入る。トンネル自体はありふれたものだが、峡谷で生活するトーロン族にとっては特別重要な意味を持つ。

 トンネルができる前、毎年秋が過ぎると高黎貢山にはボタン雪が舞い、大雪となる。高さ数㍍にも積もった雪が、峡谷にある独龍江郷と外の世界との交通を遮断。トーロン族の人々は外部と「連絡不通」になる。5月の雪解け時期、ようやくトーロン族の人々の生活必需品を背負った荷馬車が、鈴を鳴らして独龍川大峡谷に入って来る。

 長い間、トーロン族は川を渡るには渡り綱、山を出るには「天路」頼みだった。その険しい山道を行くと、毎年足を踏み外し転落して死んだラバやウマの白骨が、ひと固まりとなっているのを見ることができた。1990年代末、トーロン族は中国国内で幹線道路が開通していない土地に住む唯一の少数民族だった。

 

道路が開通する以前、トーロン族の人々は狭く険しい山道を歩いて外の世界とつながっていた

 貢山県政府は93年3月、独龍江郷への幹線道路の建設を決めた。1億元を費やした全長96㌔の独龍江幹線道路は99年9月9日、ついに全線開通した。トーロン族のほとんどの人は、開通のその日に初めて自動車というものを見たのだった。

 「赤い布で飾られた車が独龍江郷に先頭を切って入って来ると、老若男女が車に駆け寄ってきた。皆で触ったり、ためつすがめつ興味津々の様子でした。『自動車は草を食べんし水も飲まん。馬より速いし荷物もたくさん運べる。こりゃあほんとに神馬だ』と話していましたよ。何人かの老人たちが地酒を車にかけて、トーロン族の踊りを舞い始めました。その後、地元では道路が開通した日を『幹線道路記念日』と定め、毎年盛大に祝っています」。貢山県の高徳栄・前県長はこう振り返った。

 しかし、高黎貢山ではしばしば山崩れが発生し、幹線道路は毎年1年の半分は使えるが、半分は修復作業という状態だった。断崖にへばりつくように作られたこの幹線道路は、区間によっては長さ23㌔の間に400もの急カーブがあり、連続カーブの走行に肝を冷やす。例年10月から翌年5月までは大雪で道路が封鎖され、独龍江郷はまた世界と隔絶される。

 雲南省政府は2010年、7億8000万元をかけて再び独龍江幹線道路の改修工事を行った。豪雪地帯の区間では、雪対策用の長い覆道も設置した。高黎貢山独龍江トンネルは中でも最も困難な工事だった。

 トンネルは全長6680㍍、幅7㍍、高さ4・5㍍、片側1車線ずつの対面交通だ。5年近くに及ぶ工事で、道路建設工事隊は高黎貢山の雨雪や氷結、土石流と闘いながら、大急ぎでトンネルを掘り進めた。トンネルの土木工事は14年12月20日、無事に完了した。トーロン族の人々はついに外の世界に通じる道を手にした。また旅行好きの人々も、独龍江郷の真の姿を目にする機会を得たのだった。 
関連文章