のろし台遺跡から唐代の軍事文書が大量に出土 新疆

2021-05-12 10:04:07

 

中国社会科学院考古研究所は「2020年の中国の考古学新発見」を発表。新疆ウイグル自治区にある唐代の克亜克庫都克烽燧(ほうすい―のろし台。外敵の侵入の通報などのための緊急通信施設。昼間は煙、夜間は火)遺跡が選ばれた。同遺跡は昨年1231日までに、唐代の貴重な古文書と木簡(文字の書かれた木片)861点を含め、各種類の文物1368組を出土している。

 

克亜克庫都克烽燧遺跡は大型砂丘の上に築かれた総合軍事施設で、きちんと区画整理がされ設備も整い、のろし台や家屋などの建築物が見られる。出土した文書から、唐代の安西四鎮の一つの焉耆(えんき)鎮が支配した、吐蕃の侵入を防ぐために建てられた軍事施設と推測される。 

安西四鎮は、唐王朝が西域の安西都護府のもとに設置した四つの都督府、亀玆(きじ)于闐(うてん)疏勒(そろく)焉耆を指す。四つの軍鎮の下には、シルクロードでの貿易を安全で円滑に行うべく、数多くののろし台遺跡や宿駅が設置された。

 

遺跡からは大量の軍事文書が出土している。考古チームのリーダー、胡興軍氏は「文書の残片をつなぎ合わせて解読すると、時空を超えて1200年前の兵士と会話しているような気分になる」と語った。

 

出土した文書によると、兵士たちの日常はのろし台を厳格に警備するのはもちろん、耕作や烽火用の草の準備や巡らなども行っており、非常に過酷な労働条件だったようだ。雍州、岐州、幽州など唐代中原地区の地名が出土した手紙に頻出することで、兵士たちの出身地が明らかになった。一部の駐屯兵は漬け物や干し野菜を上官に贈るという記載もあり、唐代の国境地帯に駐屯する兵たちの生活の苦しさを物語っている。

 

唐代は募兵制が導入され、辺境に駐屯する兵士は4年に一度に交代することになっていたが、兵士が足りなくなると、規定通りに交代させることができなかった。出土した文書からは、50歳を過ぎても駐屯する兵がいたことがわかる。これは唐の詩人戴書倫の小令(短い詞)『辺草』に、「辺草、辺草、辺草尽来兵老。山南山北雪晴、千里万里月明。明月、明月、胡笳一声愁絶」(辺境の雑草よ、辺境の雑草よ。雑草は枯れ、辺境の兵士は年老いている。山の南にも北にも雪が上がって晴れ、千里も万里も離れていても月の光が照らしている。明月よ、明月よ。遠くから胡笳の声が聞こえ、心をひどく悲しませる)と描かれたことからもわかる。

 

  同遺跡から出土した古文書や木簡は、唐王朝が西域で有効な統治を実施していたことを証明し、唐代に辺境の防衛を担った「軍鎮」の防御システム、唐代の軍事制度などへの研究にとって貴重な一次資料となった。

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