奈良で短歌を詠む私
文・写真=呉春蘭
みかさの夜を月餅食べつつ想いけり
仲麻呂の大和 私の長安
これは、今年私が詠んだ短歌で、『読売新聞』の短歌投稿欄に採用された一首だ。
私は、阿倍仲麻呂のふるさと「奈良」に住んでおり、短歌を学んでいる中国人である。約1年半前、短歌好きな日本の友人から「短歌会を体験しないか」と誘われた。会では、前もって会員が作ってきた歌を先生(選者、主宰)が集め、無記名にして参加者に配る。続いて一首ずつ全員で鑑賞・合評を行い、自分が良いと思った歌に一票を投票する。最後に先生から講評を受けた上で作者を公開し、得票数を発表する。私は、「まるで文字ゲームのようで面白いなぁ」と気に入り、すぐに短歌会に入会した。
後で知ったことだが、これは短歌会の一番基本的なルールに過ぎなかった。歌会によっては、上位3作品まで「選歌」し、作者の優れた鑑賞力をほめたたえるところもある。時には自分が詠んだ歌を自分で批評する場に出会うかもしれない。でも、「そんな時は何事もないようにふるまい、自画自賛しても良いんですよ」と先生は教えてくれた。
入会したら、宿題として毎月2首の短歌作品を提出しなければならない。短歌そのものは面白いのだが、学びの道は決して楽ではない。
何を詠んだら良いか
これは私が最初に直面した難題である。
振り返ってみると、周りのささやかな出来事や何気ない日常の中の風景こそが、短歌の優れた素材ではないかと思うようになった。
『読売新聞』の読者投稿欄に初めて掲載された私の短歌「二十六分の電車に乗ると言ふ君と一緒に走る金曜の夜」を例に説明したい。
この短歌では、日本でのありふれた生活の場面を描いたが、多くの日本の友人がこの句を気に入ってくれた。その理由の一つは、あまりにも日常的な場面なので、短歌が詠まれている情景に読者の心が共鳴したこと。二つ目に、31文字以外の(語られていない)余白部分が無限の想像をかき立てたからではないかと思った。
どのように詠めば良いか
歌会で一票でも多く獲得するために、私はひたすら本を読みまくり、良い短歌を創ろうとした。しかし本の範囲はあまりにも広く、まるで波間を漂うような無力感を覚え要領を得なかった。困って先生に聞くと、中国人の先生は、「まずは暗唱できるぐらいまで本を読んでください。急いで創作する必要はない」と言う。一方、日本人の先生は、「創作の楽しみを味わえれば、それがいい。ひたすら書いて、決まりごとや体裁などは気にしないで」と言うのだった。この二つの答えの差は実に大きい。
そこで、私は読書を通じて短歌の規則を学ぶと共に、鑑賞力を高めながら創作を続けた。その頃は、心が動く瞬間を捉えたら、すぐ31文字の短歌に表現した。
「せんべい」と声をかけたら目があった奈良の小鹿に癒される夏(文・呉春蘭)
3カ月余り過ぎたある日、「短歌とは31のカナ文字を使った唐詩宋詞ではないか」と突然悟った。まさに「万変不離其宗」(いかに変わろうとも根本・本質は一つ)ではないかと感じた。
郷に入りては郷に従え
日本の短歌会には、「会員同士の学び合いより先生の教えが重視される」という長年のしきたりがあるようだ。しかし、これは決して仲間同士のつながりが希薄だということではない。むしろ逆で、毎月1回午後だけの集まりなのに、皆が短歌を通じて互いに研究し創作の腕を磨いたり、相手の悩み事やささやかな幸せを分かち合うことで、「あぁ毎日会う人よりもっと自分を理解できる人に巡り合えた」と心の底から感じる瞬間がある。なぜかというと、相手は自分が作った短歌を理解するとともに、自分の気持ちも理解してくれるからだ。
詠み続ける二つの工夫
詠み始めたら詠み続けよう――。歌会と読書会の他に、私はたくさんの和歌に関する動画も見た。もちろん、一番大切なのは創作と、毎月宿題を出すことだ。時には前もって十数首も創っては、選りすぐりの2首を提出することもある。
短歌会は柔軟で自由な組織であるし、短歌の書籍はテレビ番組ほど面白くはない。長くやっていると創作意欲が衰え、才能枯渇の感を禁じ得ない時もある。では、そんな時はどうすればいいのか。私の対処法は二つある。一つ目は目標を立てることだ。
短歌会に入会したての頃、唯一の外国人である私は、いつも得票数が一番少なかった。だが、目標を立ててから徐々に進歩し始めた。去年、私の作品は県レベルの刊行物に発表された。今年になると、『読売新聞』の紙面に作品が掲載される喜びを味わえるようになった。
二つ目は、お気に入りの歌人を見つけることだ。私が好きな歌人は二人いる。一人は『サラダ記念日』(1987年、河出書房新社)で広く知られる歌人の俵万智さん(1962年~)。もう一人は、やはり歌人の河野裕子さん(1946~2010年)だ。