映画『唐人街探案3』 浮世の奇観と弦外の音

2021-05-26 10:34:07

王衆一=文

※本文には『唐人街探案3』のネタバレが含まれています。未視聴の方はお気をつけください。

旧正月に映画『唐人街探案3(邦題:僕はチャイナタウンの名探偵3)』が中国で人気を集めた。もともと昨年の旧正月を狙って撮られた正月映画だった同作は、1年越しでやっと日の目を見て、公開初日の興行収入が10億4200万元、4日間で30億元という爆発的大ヒットを記録した。当初、2020年の東京オリンピック開催および訪日旅行の人気継続を見込んでいたが、現在、新型コロナウイルス感染拡大によって、東京の街はひっそりとし、映画の中とは景色は同じながら人々の様子は異なり、さながら隔世の感があり、それが逆に観客に強い懐かしさを感じさせている。国内のネット上の評判はさまざまで、『朝日新聞』などの日本メディアも多額の制作費が投入された同作の中国での上映について詳細に報道した。同作はこの夏に日本で公開される予定だが、その舞台裏を紹介することは、日本の観客にとってなにかしら役に立つかもしれない。特に中日映画交流史の視点から同作を考察することは、映画の背景をより深く理解する助けとなるだろう。

 

豪華絢爛な平成東京絵巻

『唐人街探案』は、中国人観光客に人気がある国際都市を舞台としたシリーズ物のサスペンス映画だ。第1部はバンコク、第2部はニューヨークが舞台で、今回の第3部は物語の背景として東京にスポットを当て、中国ならではのイメージと視点で、コメディー要素、サスペンス要素、都市景観要素、社会派要素を盛り込んでいる。

中国国内で同作を観た日本人の知人は、違和感を持ちつつもわくわくしながら鑑賞したようで、制作チームが日本文化をよく知っていることに驚くと同時に、同作が中国人の日本観を反映していることをズバリ指摘した。私は映画館で観た際、同作が日本で上映されたら、大勢の入れ墨をした極道の男たちが短パンをはいて温泉に漬かっているシーンできっと客席から笑いが起こるだろうと思った。でも、他者の視点による違和感は、中日間での異文化交流を展開する際にかえって討論のテーマを提供することになるかもしれないため、単なる笑いの種にするのは短絡的な考えだとも思う。

この映画はZ世代の若い観客に向けて撮られたものなので、平成時代に流行した日本のサブカルチャーの代表的な要素――二次元や密室、コスプレなどが大量に登場する。同時に一般の中国人の脳裏に定着した日本のイメージ、例えば、温泉、入れ墨をした極道の男たち、剣道、大相撲などは間違いなく映画の奇異感とコメディー要素を豊かにしている。平成の流行文化要素と昭和に対する歴史的記憶と想像が、同作の独特な異国情緒を醸し出していると言ってもいいだろう。

異国情緒で日本を観察する、というような中国映画が現れたこと自体が意味深い。一般の中国人の訪日旅行がまだ盛んではなかった十数年前、このような異国情緒は日本のへき地で見られた。北海道を舞台にした『非誠勿擾(邦題:狙った恋の落とし方。)』が代表的な作品で、1950年代生まれ前後の世代が北海道――80年代に高倉健が主演した映画に何度も登場した――に対して持っている強い精神的なノスタルジーを伝えていた。この7、8年、大勢の中国人が訪日旅行に出掛け、中国の文化市場が拡大・開放された結果、一般の中国人の日本文化要素に対する興味と理解は以前より格段に深くなった。日本の流行文化に対する深い理解と把握によって、両国の若者世代は映画の中で言語から趣味まで全くギャップがないようになった。こうして、この映画は伝統的日本のイメージと現代流行文化の活用を一つに集めることができた。同時に、スカイワースやファーウェイなど多くの中国製電化製品が作中の日本の場面に登場しているのは、決して広告の意味だけでなく、中日経済がどのようにお互いに浸透し合っているかを反映している側面もある。さらに言えば、国と国の間の「正常化」が50年近く続いた上に、民衆レベルでは、いかに交流と往来の「平常化」が実現されつつあるかを物語る実情がうかがわれる。羽田空港、新宿、東京タワー、浅草、横浜中華街……これら中国人観光客になじみのある観光スポットが映画の中では現実よりもっと誇張され、豪華絢爛に描かれており、まるでメトロポリタン・東京絵巻を見ているようである。

世界に二つとない渋谷スクランブル交差点で紙幣をばらまくシーンからは、監督の並ならぬ野心がうかがわれる。聞くところによると、制作チームはこのシーンを撮影するために、栃木県に原寸大の渋谷のオープンセットを造ることもいとわなかったという。かつて佐藤純彌監督は映画『君よ憤怒の河を渉れ』を撮影した際、主人公・杜丘が馬に乗って新宿を駆け抜ける場面のために、馬の大群を使うこともいとわず、交差点を封鎖してロケーションを敢行した。このような大掛かりな撮影は、高度経済成長期の日本においても永田雅一のようなプロデューサーの手で一度実現されただけだった。現在、中国の若手制作チームが持つさらに膨らんだ野心は、デジタル時代の産業化した映画製作の実力により、余すところなくこのシーンで表現されている。

主人公が羽田空港を出てすぐに受けた大掛かりな急襲から、東京の街中で行われたゴーカートでのカーチェイスまで、さらに浅草の大通りでのカーニバルパレード、渋谷スクランブル交差点での紙幣ばらまきまで、映画の前半が観客に見せる都市奇観はそのコメディー効果と緊張感を醸し出していた。

 

ロケ地で俳優に指導する陳思誠監督(右)

 

平成の奇観の裏に見る昭和の恩讐

しかも、東京の奇観は地上だけにとどまらない。主人公は数々の難関を乗り越え、最終的に東京の地下にある巨大な治水施設にたどり着き、ここで物語は大きな転換を迎える。コメディー感、ゲーム感が極めて強かった映画は、ここから一転、社会派の様相を呈し始める。

監督は中国の観客がよく知る各年齢層の日本の俳優を起用している。妻夫木聡や長澤まさみ、染谷将太、鈴木保奈美、浅野忠信、奥田瑛二などは皆、日本の映画やドラマを通して各世代の中国の観客に深い印象を残しているが、中でも三浦友和は重量級の人物といえる。彼が作中で演じた極道の親分(渡辺)は、1980年代に中国から日本に戻った残留孤児だ。意味深長なのは、作中、80年代に黒龍江省綏化から日本に初めて行ったこの孤児は、当時きっと三浦友和と山口百恵が出演した『赤い疑惑』などのドラマを見て、日本への憧れを抱きながら自分の生まれ故郷に帰ったはずだということである。

この残留孤児と同世代の中国の観客は、三浦友和が作中で極道の親分に変身したことを受け入れ難かったかもしれない。なぜなら、それは間違いなく彼らの心の中で三浦友和と山口百恵がかつてつくり上げたイメージを覆したからだ。逆に、張芸謀(チャン・イーモウ)監督の映画『千里走単騎(邦題:単騎、千里を走る。)』における高倉健のイメージには、このような違和感はなかった。

80年代はまさに中日間映像交流の蜜月期だった。『千里走単騎』や『非誠勿擾』にしろ、『君よ憤怒の河を渉れ』をリメイクしたジョン・ウーの『マンハント』にしろ、近年、中国側が主導した中日合作映画にはほぼ、80年代に中国の幾世代の人々に影響を与えた日本映画へのオマージュが読み取れるシーンがある。同作は70年代生まれの監督の作品だが、やはり80年代の日本映画からの借用を目にすることができる。

戦争などの歴史的要因で身分を隠すことによって引き起こされた犯罪は、80年代に中国で上映された日本の昭和後期の社会派サスペンス映画の大きなテーマで、中でも『砂の器』と『人間の証明』が代表的だ。三浦友和と長澤まさみは平成時代の日本で引き続き彼らの『赤い疑惑』『砂の器』『人間の証明』を演じたといえる。筆者から見れば、三浦友和演じる渡辺が、カッとなって銅製の花瓶で東南アジアマフィアのボス・スー・チャーウェイの頭を殴るという設定は、『砂の器』で恩人を石で殴り殺した音楽家・和賀英良の影が重なっており、長澤まさみ演じる小林がガラスの破片でスー・チャーウェイにとどめを刺したのもまた、『人間の証明』で混血の息子の胸をナイフで刺した八杉恭子を連想させる。ジョー山中の『人間の証明のテーマ』の作中での借用は明らかに、このようなノスタルジーの延長といえるだろう。

物語の終盤、真相が明るみに出るにつれて、重い歴史的テーマが引き出され、観客の気持ちは重くなる。中日間の恩讐が常に映画の中に反映されることも、中日合作映画史上の独特な現象の一つだといえる。残留孤児を題材とした中日両国の映画作品は中日平和友好条約締結後、繰り返して登場してきた。『櫻―サクラ―』『清凉寺鐘声(邦題:乳泉村の子)』『離別広島的日子(邦題:大草原に還る日)』『大地の子』『小姨多鶴』『レッドクロス~女たちの赤紙~』はいずれもこのテーマを指向している物語だ。この意味において、同作は中日映画交流史にまた、研究的価値のある、新たな変数を持った例を加えたといえる。

 

役を極道の親分に一変させた三浦友和

 

世界を癒やすアジア探偵連盟

『唐人街探案3』が完成したのは新型コロナ感染拡大前だった。エンディングの東京の街角での中国式広場ダンスは、コロナ以前の訪日旅行熱に対する懐かしさを湧き上がらせる。目下、中日の人々はまだ自由に往来できないが、スクリーンというバーチャルな世界で相互の交流と理解を継続したことは、まさに同作が果たした独特な役割だ。同作はこの夏に日本で公開されると聞いているが、日本ではどのような評判を受けるかはまた興味のあるところだ。

『唐人街探案』は「アジア探偵同盟」を打ち出しており、今後の作品で、彼らアジアの探偵たちは手を携えて世界の平和を守るという設定だ。これは海外進出していく中国映画に価値の基盤を打ち立てた。エンディングに流れたマイケル・ジャクソンの『ヒール・ザ・ワールド』の歌声は意味深長で、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の時期に歌われたこの反戦の歌は、不確実性に満ちた昨今の世界に対する憂慮、平和に対する祈りという監督の考えを明らかに反映している。映画のストーリー展開の手掛かりとして、ロンドンでの密室を画策しているQたちの集いをラストに持ってきたことは、今後、善と悪の闘いがさらに激しくなることをほのめかしている。このように弦外の音に満ちた映画が海外に進出し、より多くの議論と交流を促すことは、激動の世界情勢に置かれた国内外の観客に、警鐘を鳴らし、癒やしを与えることになるのかもしれない。

 

長澤まさみ扮する被害者の秘書の動きを疑い始めた探偵たち

(本記事の写真は映画『唐人街探案3』の制作会社より提供)

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