発掘再開の三星堆遺跡 新技術が支えた新発見

2021-07-02 09:52:36

陳蘊青 王哲=文

 

5号坑で出土した半分の黄金仮面。仮面の右耳たぶには穴が一つある。三星堆で出土したほとんどの青銅人頭像の耳たぶに穴があるため、当時の三星堆の人々には「耳たぶに穴を開ける」習慣があったと推測される(写真提供・四川省文物考古研究院)

1930年代、四川省広漢市で三星堆遺跡が発見された。1986年、三星堆で偶然二つの「祭祀坑」が発見され、青銅神樹や大立人、縦目仮面、玉璋(刀の形状をした玉器)、象牙などの貴重な文化財が出土したことは、世間を大いに驚かせ、20世紀における人類の最も偉大な考古学発見の一つとたたえられた。

86年の発掘に引き続き、三星堆の「祭祀坑」の考古学発掘作業は昨年9月に再開された。そして今年3月20日、三星堆遺跡の重要考古学発見と研究成果が発表された。新たに発見された六つの「祭祀坑」からは、現時点ですでに、黄金仮面の残片、鳥型の金の装飾品、青銅神樹、象牙、象牙彫刻の残片、玉琮(八角柱で中央に円柱の空洞が空いている玉器)などの重要な文化財500点余りが出土している。専門家が炭素14年代測定法で六つの坑の炭くずサンプル73点を測定・分析した結果、現在、4号坑が今から3200~3000年前の商代末期のものと確定されている。

 

3000年眠っていた文化財の宝庫

三星堆国家考古遺跡公園で、かつて宝物でいっぱいだった1、2号祭祀坑は埋め戻された後、上に桟道と展示スペースが設けられていた。2019年12月2日、スタッフが桟道付近を探査していたところ、地下に隠れていた祭祀坑の角に探査機器の先が触れた。その後、桟道と展示スペースは速やかに撤去され、新たな六つの坑が続々と発見された。それらは1、2号坑付近にあり、最も小さいものは約3・5平方㍍、大きいものは約20平方㍍あり、形はどれも長方形で、同じ方角を向いていた。四川省文物考古研究院は昨年9月、全国33カ所の科学研究機関や大学と協力し、この六つの祭祀坑の整理・発掘を進めた。目下、3、4、5、6号坑はすでに遺物包含層まで発掘され、7、8号坑はまだ上部の土を取り除いている段階だ。

「最大の注目点は5号坑で出土した黄金仮面の残片です。その次は3号坑で出土した大量の青銅器で、一部の青銅器の品質は1986年の1号坑、2号坑のレベルを超えています。三つ目は絹織物の残痕を発見したことです」と三星堆遺跡祭祀エリア考古発掘チームのリーダー・雷雨氏は説明する。

六つの坑のうち面積が最も小さい5号坑では、大量の黄金製品――円形金箔片、鳥型の装飾品、黄金仮面の半分が出土した。この半分の仮面は幅約23㌢、高さ約28㌢、重さ約280㌘で、断片だが、とても厚く、支えがなくても自立できる。雷氏は「この黄金仮面はおそらく祭祀に使われたもので、仮面全体の重さは500㌘を超えると思われます。人の顔よりかなり大きいので、実際に着けるものである可能性は低く、どんな用途があったのかは研究の結果を待つ必要があります」と推測している。

3号坑では、形が珍しく、精巧で、保存がほぼ完全な数十点の青銅器と大量の象牙が発見された。中でも、まだ完全に出土していない銅人頂尊は、国宝級の文化財になる可能性が極めて高い。この遺物の下部は拱手姿の銅人で、銅人の頭の上には四角い板があり、板の上には4体の飛竜の装飾が付いた尊型の器がある。四川省文物考古研究院の元副院長である陳顕丹氏は次のように述べている。「この遺物の造形は中原の礼器『尊』と全く異なっています。そのためきっと異なる用途があるはずです。この謎を解くことは、古蜀人の宗教信仰上の複雑性を探り、当時存在したいくつかの集落の異なる風習を知ることにつながるかもしれません」

3号坑からはさらに中国の伝統的な二つの青銅製礼器――大口尊と円口方尊が出土した。模様は商代末期の典型的な長江流域の様式で、北方地域ではあまり見られないものだ。これらと4号坑で出土した玉琮は、三星堆文化と長江下流域の良渚文化との密接な関係をあらためて証明した。このほか3、4号坑では絹が朽ちた後の残留物も発見され、サンプルの土からは多くのフィブロイン(絹糸の主要成分)が検出され、3000年以上前の三星堆ですでに絹が使われ始めていたことが証明された。

6号坑では長さ約1・7㍍、幅約0・6㍍、高さ約0・4㍍の長方形の木箱が出土した。木箱の上にふたとなる板はなく、内側の壁板には朱砂が塗られていた。この木箱の用途と内容物については、専門家のさらなる研究と実験室での検査・測定によって確定される。

7、8号坑はまだ遺物包含層まで発掘されていないが、規模が最大の8号坑ではすでに多数の建築材料と大量の紅焼土の塊が発見されている。ここでは祭祀に使う神廟が燃やされた後に全体的に埋められた可能性がある。金属探知機と地中レーダーによって、近頃、8号坑には大量の金属類の文化財がある可能性が推測されており、今後8号坑で重要な発見があることが予想される。

 

象牙と青銅器でいっぱいの3号坑。3号坑の面積は約14平方㍍で、方角、大小、器物埋蔵の深さは1986年に発見された2号坑と同じ。現在すでに120点余りの象牙と数十点の青銅器が発掘され、絹の残痕も発見された(新華社)

 

3号坑で、象牙の下にあった青銅製の仮面(上)および銅人頂尊上部の飛竜の装飾(新華社)

 

3号坑で出土した円口方尊。これと殷墟で出土し、現在台北故宮博物院に所蔵されている伝世品の「犠首獣面紋円口方尊」は、形状や模様などの特徴がほぼ同じ。「尊」は古代の大中型盛酒器や礼器の一種で、商代から西周時代にかけて盛んに使われていた(新華社)

 

3号坑で出土した青銅方尊。これは三星堆遺跡で初めて見つかった器型で、同時期の南方地域全体においてもまれに見るものだ(新華社)

 

中華文明の多元一体を実証

1980年代、長江流域で良渚や石家河、三星堆などの重要な遺跡が発見されたことに伴って、学術界は中華文明の起源について新たな認識を持つようになった。

「従来、一般的には中原地域が中華文明の中心と見なされてきました。四川は地理的にも文化的にも比較的辺ぴなところにあります。三星堆などの重大な考古学的発見があって初めて、人々は成都平原にこれまで知られていなかった初期国家があったことを知ったのです。しかし、相対的に閉ざされた地理環境、独特な宗教信仰と技術体系を持つ系統として、青銅人像や仮面、神樹といった当地の独特な風格が特に濃厚な遺物にも、鮮明な中原文化の影響が見えることは、まさに三星堆の新発見の魅力的なところです」。四川省文物考古研究院院長で、三星堆遺跡発掘総リーダーの唐飛氏はこのように評価している。

「今回新たに発見された青銅製の容器は一見とても見慣れた感じで、例えば、中原文化でよく見られる雲紋、長江中・下流域の青銅器によくある鳥、獣頭などの装飾が、今回3号坑で発見されたいくつかの文化財の表面にもあります。出土した玉琮、牙璋、尊、罍などの遺物は全て中原と長江中・下流域の文化が発祥のものですが、細部には独自の特徴があります。つまり、三星堆とはるか遠くの中原や長江中・下流域文化には、社会的価値の共通性があったと言えます。このような共通性は全国のさまざまな考古学発見において、異なる現れ方をしていて、中華文化が多元一体であることの最良の証明です」

唐氏はさらに次のように述べている。「三星堆で発見された黄金仮面、青銅縦目大仮面、青銅神樹、太陽崇拝などは奇妙に見えますが、実は当時の人々の信仰を反映しており、宗教やシャーマニズムの色彩が非常に濃厚で、芸術的誇張の要素が比較的多く、その黄金製の器物に対するこだわりは独特で、中原文化とは関係がありません。これは引き続き研究が必要な部分です。他の地域の文明と関係があるかどうか、今はまだ断定できません。なぜなら現時点ではまだ中間の伝播ルートの証拠が何も発見されていないからです」

 

1986年に三星堆遺跡で出土した青銅縦目大仮面。幅138㌢、高さ66㌢。この銅像の眼球は非常に誇張され、円柱状で前方に16㌢飛び出し、両耳は外側に広がり、ほほ笑みの表情で、独特な造形である(写真提供・三星堆博物館)

 

1986年に出土した円頂黄金仮面銅人頭像。この人物が着けている黄金仮面は今回5号坑で出土した黄金仮面と酷似している(写真提供・三星堆博物館)

 

学際的な現代中国考古学

今年は中国現代野外考古学100周年だ。スウェーデン人のアンダーソン(1874~1960年)が北洋政府の鉱政顧問として1921年、中国の学者と共に仰韶遺跡で初めての発掘を行った。これが野外発掘を特徴とする現代中国考古学の始まりと言われている。100年来、数世代の人々の模索を経て、中国の考古学は世界から注目される成果を上げた。今回の三星堆の発掘で示された考古学技術の新たな発展は、中国考古学100年に対する最高のプレゼントといえる。

三十数年前の1、2号坑の発掘に比べ、今回の新坑の発掘には明らかな特徴が二つある。一つは科学技術が大いに活用されていることで、もう一つは多数の分野の研究者が協力して考古学発掘や文化財保護、関連の研究作業に参加していることである。

人々がイメージする露天の発掘作業とは異なり、今回の発掘現場は鉄骨構造・ガラス張りの大きな建物で覆われている。建物内では、全ての祭祀坑の上にそれぞれ紫外線カット断熱ガラスでできた「発掘用キャビン」を建て、文化財の出土前後の環境をできるだけ同じにしている。外界からの発掘現場に対する影響を減らすため、発掘スタッフはキャビンに入る前に防護服に着替え、キャップをかぶり、靴にカバーをしなければならない。キャビンの中には専用の昇降台が設置され、発掘スタッフが地面から浮いた状態で作業できるようになっているだけでなく、各種器物の取り出しも便利になっている。また、ハイパースペクトルスキャナーも設置され、肉眼では見えない文化財のスペクトルを捉えることに役立っている。

86年に三星堆遺跡発掘リーダーを務めた陳徳安氏は次のように述べている。「三十数年前の発掘では、発掘用キャビンも昇降台もありませんでした。当時は夏で、高温と紫外線による文化財の損傷を防ぐため、昼間はわらで祭祀坑を覆って、夜と曇りの日だけ作業しました。大量の文化財が祭祀坑で重なり合っていたため、足の踏み場がなく、最初は体重の軽い女性スタッフが現場に入って、象牙を踏みながら慎重に作業を行うようにするしかありませんでした。大立人もみんなで坑に入って力を合わせて抱えて持ち出したのです。これでは文化財の損傷を避けることはできませんでした。今は昇降台があり、スタッフは台上で腹ばいになって発掘ができるため、文化財が壊されないように保証できます」

以前の考古学プロジェクトでは、野外と実験室での作業は分けて行われていた。考古学チームメンバーは野外作業を終えた後、文化財と環境サンプルを後方の実験室に送り、続きの研究や分析、保護作業を行った。だが、今回の三星堆遺跡の発掘作業は文化財保護と野外作業を結合させ、発掘用キャビンの近くに実験室を設置し、すぐに文化財をしっかりと保護して情報を得られるようになった。これはこれまでになかったことである。

科学技術力のサポートのほか、今回の考古学チームは北京や上海、四川、浙江など34カ所の大学や科学研究機関のスタッフからなり、その専門は文化財保護技術、体質人類学、動物学、植物学、環境学、冶金学、地質学など多岐にわたっている。3、4号坑の中の絹の痕跡は、第一線のスタッフが中国シルク博物館の専門家の指導の下で発見したものだ。このほか、祭祀坑の出土文化財には明らかな焼け跡があり、これが祭祀の儀式によるものか、故意に焼いたものか解明するため、初めて消防分野の専門家が研究に参加することになった。

「今回の発掘は中国だけでなく、世界的に最も大規模で、資源の調達の範囲が最も広い発掘作業といえるでしょう」と前出の唐飛氏は語る。

新たに発見された重要文化財は現在、三星堆博物館の倉庫に保管されており、同博物館は四川省文物考古研究院と共同で三星堆オープン型文化財修復館を設立し、5月18日の国際博物館の日に合わせて正式に開館させるという。参観者はその場で文化財修復の様子を見学することができるようになる。

 

鉄骨構造・ガラス張りの建物の中にある発掘用キャビン。「K2」と書かれた場所は1986年に発見された2号坑の跡地(cnsphoto)

 

3月21日、特製の昇降設備を使って3号坑で作業している発掘スタッフ。今回の発掘現場で発掘と文化財保護に従事しているスタッフは約200人おり、そのうち150人余りが1990年代生まれの若者だ(新華社)

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