東アジア文化都市·泉州(1) 絹の道が伝えた異国文化

2021-08-02 13:48:26

呉文欽=文

陳剣=写真

 福建省泉州市は、中国で初めて「東アジア文化都市」(2013年)に選出された都市だ。宋・元の時代、泉州は「東洋第一の港」とたたえられ、シルク、磁器、茶葉などの中国製品が、「海上シルクロード」を経由してここから世界に向けて大量に輸出された。そして、エキゾチックな異国の商品や文化も、外国の商人たちと共に泉州にやって来た。

 雨が降った後の清浄寺は、ますます静かで落ち着いた雰囲気になる。「奉天壇」(古代の礼拝堂)に残された石柱は、まるで入浴を終えた敬虔なイスラム教徒が真西のミフラーブ(聖龕)に向かっているようだ。奉天壇の外壁にはアラビア語のコーランがはっきりと刻まれている。

 壁の前では韓天明さん(32)が6歳の息子に、刻まれた文字を丁寧に教えている。「私たちは青海省のサラール(撒拉)族で、イスラム教を信仰しています。去年家族で福州(福建省の省都、泉州の北東に位置する)に引っ越してきた後、友人の紹介で泉州に清浄寺があることを知りました」と韓さん。「わが国の南東沿海地域に千年の歴史があるモスクがあって、しかもこれほど良い状態で保存されているとは……とても驚きました」

 

泉州市鯉城区に位置する塗門街の清浄寺

 清浄寺の建設は、海上シルクロードの繁栄と表裏一体の関係にあった。宋・元の時代、泉州は海上シルクロードの起点である「東洋第一の港」として発展した。インドやアラブ、欧州などからやって来た多くの商人たちは、泉州で自国の商品を販売し、磁器やシルク、茶葉などを買って帰った。また、一部の商人はそのまま泉州に定住し、それに伴って彼らが信仰するヒンドゥー教、マニ教、イスラム教、キリスト教などの宗教もこの地に根付いていった。

 

清浄寺「奉天壇」

 1009年、泉州に移住したアラブ系イスラム教徒の出資によって、シリアのダマスカスにあるイスラム教の礼拝堂を模した「聖友寺」とも呼ばれるモスクが建設された。1310年、ペルシャ(現在のイラン)のシラーズから来たイスラム教徒が寺院を修繕。現在の清浄寺は修繕後の遺跡で、その建築様式はイランのモスクとよく似ている。当時清浄寺の建設に携わったアラブ人の子孫たちは今でも清浄寺の近くに多く住んでいるという。面白いことに、清浄寺のすぐ近くには、儒教を尊ぶ文廟や通淮関岳廟なども建っている。

 「泉州のイスラム系の家系には、蒲、丁、郭の三つの苗字が一番多いです。彼らは泉州の文化になじむ一方、イスラム文化の伝統も一部残しています」と泉州海外交通史博物館の林瀚副館長が紹介してくれた。

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