東アジア文化都市·泉州(3) 仏教寺院の「スフィンクス」

2021-08-02 13:51:13

呉文欽=文

陳剣=写真

 開元寺本堂のもう一つの見所は、須弥座に彫られた73体の獅子と人面獅子の石刻だ。泉州の歴史学者の研究によると、これらの石刻は、南インドのチョーラ時代のヒンドゥー教の人面獅子の石刻と姿がよく似ているという。考証によると、この須弥座は明代に開元寺が再建された際、元代末期に崩壊して廃墟となった寺院から現在の場所に移されたという。これは、元代にはすでに泉州で珍しいヒンドゥー教の寺院が建てられていたことを裏付けている。そして明代に行われた本堂の修復で、ヒンドゥー教に関連する建築部材が使われたことは、非常に珍しい文化現象である。

 本堂から南西方向に5分ほど歩くと、そこには1228年に建立された仁寿塔(西塔)がそびえ立っている。そして真東には1238年に建立された鎮国塔(東塔)がある。13世紀の中国石造建築の傑作である開元寺の東塔と西塔は、現存する宋代の石塔のうちで最も高いものだ。

 東、西塔共に仏典の物語が生き生きと刻まれているが、地元の人々にとっては、精神的なトーテムでもある。伝説によると、泉州は旧市街の地形が、龍門を登る鯉のような形をしていることから、「鯉城」という古名が付けられた。しかし、鯉城から数十㌔離れた永春桃城の地形が、その「鯉」に向かって投げられた大きな漁網に似ている。捕らえられそうな鯉を救うために、漁網を突き破るという意味で、地元の人々は二つの巨大な塔を建てることにした。こうして、700年以上も前から泉州の町と人々を守ってきた東塔と西塔が建った。今でも地元の人は、元気でたくましい様子を形容する時は「東塔と西塔のような立ち方」と言う。このことからも、東、西塔が泉州の人々にとって大事な存在であることが分かる。

 

大雄宝殿の須弥座に刻まれている人面獅子の石刻

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